沿道のコラム

(3)小石川寺町散歩(茗荷谷駅−菊坂2.4Km)

 小石川の高台の、その頂点に位置する伝通院。小石川の谷を隔てた白山の台地には、300年の歴史を誇る植物園が広がる。

1.伝通院と寺町

 小石川の高台に位置する伝通院は、正式名を無量山寿経寺といい、慶長7年(1602)徳川家康の生母水野氏(お大の方、法名伝通院殿)の菩提寺として開かれた浄土宗の寺である。当時の寺領は600石に及び、芝の増上寺、上野の寛永寺と並ぶ江戸の三霊山といわれた。
 この界隈に生まれ育った永井荷風は、明治41年(1908)外遊先より帰国、数年ぶりに伝通院を訪れた。伝通院が焼失したのはその晩のことである。「なんという不思議な縁であろう。本堂は其の日の夜、追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になってしまった」(『伝通院』)。
 現在の寺院はさらに戦災を経て、戦後再建されたもの。境内には水野氏の墓の他、天樹院千姫の墓等がある。
 伝通院山門から善光寺へ向かう途中にあるのが、沢蔵司稲荷(たくぞうす)の伝説で知られる慈眼院。昔、伝通院の学寮に沢蔵司なる謎の人物がいた。この男は、わずか3年のうちに一切浄土の奥義を極めてしまう異能
ぶりで学僧たちの尊敬を集めたが、元和6年(1620)住職の夢枕に突如現れ、実は自分は稲荷大明神であると告げて姿を消した。一切浄土の研究のためにしばらく修行憎に化けていたというのである。
 なお、修行中の大明神がちょくちょく立ち寄ったといわれる「いなりそば」屋は、今も門前にあり、毎朝初そばを稲荷に供える習慣が守られている。
 店前の坂は善光寺坂といい、富坂、安藤坂等と共に伝通院の門前を頂点とする坂のひとつ。幸田露伴宅(蝸牛庵)跡も近い。安藤坂は、明治末頃までは伝通院門前より神田川までを一気に下る急坂で、漱石の『それから』等、多くの小説に描かれた。菊池寛や島木赤彦が住んだ富坂と共に、文人ゆかりの地として名高い。

 

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