見どころ紹介

(1)旧鎌倉街道散歩(永山駅−府中駅6.5Km)

●旧多摩聖蹟記念館 
 維新後「連光寺村御猟場」と定められた当地を、明治天皇はこよなく愛し、幾度か御猟に訪れたという。同館はその聖蹟に建築された(昭和5年竣工)。発起人は元宮内大臣田中満顕、設計は関根要太郎。館内には愛馬金華山号にまたがる明治天皇乗馬像や愛用品等が展示されている。

●満州開拓受難の碑
 昭和7年から開始された満州開拓事業で亡くなった人々の追悼碑。計134基の石碑には殉難者の名と略歴が刻まれている。

●観音寺(相沢五流・伴主の墓)
 境内には相沢五流と伴主の墓がある。相沢父子は江戸中期の文化人で、絵画や挿花、造園など多方面で活躍。特に伴主は、允中流挿花(いんちゅうりゅうそうか)の開祖として知られている。

●関戸古戦場跡
 元弘3年(1333)、多摩川北岸の分倍河原では巧みな待ち伏せ戦術で圧勝した鎌倉幕府北条軍も、その翌日には三浦義勝の応援を受けた新田軍に南岸の関戸を奇襲され、あえなく敗退。幕府軍の大将北条泰家も絶体絶命かに見えたが、横溝八郎、安保入道といった泰家の忠臣達の身を挺した活躍によって辛くも鎌倉へ逃げ延びたという。現在、古戦場跡近くに彼らのものとされる墓が残されている。

●阿弥陀三尊来迎板碑
 鎌倉時代末期の元享3年(1323)との紀年銘が入った板碑で、鎌倉街道沿いの小山家裏山から出土した(多摩市文化財指定)。上部には天蓋があり、雲に乗った阿弥陀如来や観音菩薩などが彫られている。

●小野小町歌碑
 碑面に「武蔵野の むかひのおかの くさなれば ねをたづねても あわれとぞおもふ」とあるが、この歌は平安の六歌仙として著名な小野小町がここに立ち寄り、遠く離れた父を想いつつ詠んだものと伝わる。

●赤坂駒飼場古戦場跡
 永禄3年(1560)、当時の領主であった後北条氏は、この地で勢力拡張を図る今川氏との合戦に臨み、大敗。以後は小田原を本拠とすることになった。赤坂駒飼場とは、後北条氏がここに設営していた陣屋や軍馬牧場を指す名称であったという。

●関戸橋
 長さ約376mに及ぶ長大な橋で、昭和12年の創架。関戸はもともと鎌倉街道沿いの宿場として栄えた土地で、昔は両岸の交通路を結ぶ重要な渡船場があったという。

●高安寺
 南北朝の戦乱が続いた14世紀中頃、北朝の頭領足利尊氏が国家安康を祈願して諸国に建立した安国寺のひとつ。もとの名は市川山見性寺であったと寺伝に伝わる。しかし平和を願って建立された高安寺も、立川段丘上から多摩川や対岸の丘陵地帯を遙かに見張らす重要な戦略拠点に位置したため、南北朝以後、多くの武将達によって「仏を奉る要塞」と化したという。現在の本堂は享和3年(1803)、山門は安政元年(1854)の建立である。

●三千人塚
 高さ1m程の塚で、江戸時代より分倍河原合戦の戦死者を埋葬したものと伝えられたが、後に板碑から合戦(1333)以前にあたる康元元年(1256)の年号が発見され、謎は深まるばかりである。

●府中市郷土の森
 開設は昭和62年4月。13万uに及ぶ広大な敷地には、博物館、プラネタリウム(日本最大級の規模)、復元建築物、公園からなる「森」が広がっている。月曜日休園。

●府中高札場
 高札場とは、江戸時代に法令等を発布・掲示した施設。府中の高札場は、大国魂神社御旅所の柵内にある。甲州街道と鎌倉街道の交差する府中の町は、江戸時代に宿場として栄え、そのため高札場も比較的大きかったという(都旧跡指定) 。

●善明寺
 立川段丘上に位置する境内には本堂の他に金仏殿があり、大鉄仏とその胎内仏ともいわれる小鉄仏の2体(重要文化財)が安置されている。小鉄仏は恋ヶ窪伝説で知られる畠山重忠が愛する夙妻(あさづま)大夫の菩提を弔うために鋳造したものと伝わる。

 

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