見どころ紹介

(2)音羽の鐘散歩(護国寺−茗荷谷駅2.3Km)

●豊島岡墓地
 宮家、旧皇族の墓所。明治6年(1873)、明治天皇第一皇子稚瑞(わかみず)親王の死去をきっかけに護国寺境内の東半分を皇族墓地として定めたのが始まり。

●成瀬記念講堂
 日本女子大学内に建つ教会風の木造西洋建築。設計は田辺淳吉。創設者成瀬仁蔵を記念し、明治38年(1905)に竣工。

●東京カテドラル聖マリア大聖堂
 カトリック東京大司教区の教会。現在の大聖堂は、旧西ドイツケルン市の信者達の寄進をもとに昭和39年建造された。設計は丹下建三。

●関口芭蕉庵
 下級武士として神田上水工事に従事した松尾芭蕉は、延宝5年(1677)よリ3年間ここに住んだという。芭蕉が日本橋深川へ転居した後、彼を慕う人々によって建てられたのが関口の芭蕪庵であったが、焼失し、戦後再建された。現在は蕉雨園が管理・所有している。

●永青文庫 文京区目白台1-1-1
 江戸時代の熊本54万石細川家の江戸下屋敷跡であったこの美術館は、細川家伝来の貴重な文化財など数多くの展示品があり、それらの文化財と16代護立のコレクション4500点を収蔵し、展示公開を行っている。
問合せ:03-3941-0850

●椿山荘
 筑前黒田家の下屋敷であったが、維新後、陸軍元帥山県有朋の邸宅となり、椿山荘と呼ばれた。古くはこの辺り一帯を椿山といい、椿の多いことで知られていたという。西に田中光顕(宮内大臣)邸の蕉雨園があり、庭の椿山荘、建物の蕉雨園と並び称された。大正期に藤田男爵の所有となり、三重塔が広島の竹林寺より移築された。室町末期の塔建築とされる。
 現在はホタルの鑑賞できる庭として有名だが、近年はホタルの生育できる環境整備とともに飼育を行い、地元小学生に学習の一環として幼虫の放流を行ってもらうなど、名実共に椿山荘のホタルが誕生している。

●目白不動(新長谷寺)跡
 三代将軍家光により「城南の目黒に対して目白と呼ぶべし」と称号を授けられたといわれ、付近一帯も目白と呼ぶようになった。江戸五色不動(目白、目赤、目黒、目青、目黄)の一つ。大戦中の羅災で廃寺となり、不動尊像は現在、豊島区の金乗院に移されている。

●大塚地名発祥の地の碑
 旧三井銀行研修所敷地内に記念碑が残る。かつてこの辺りに大きな塚があったので大塚の地名が生まれたという。塚は先史時代の古墳とも、太田道灌の築いた狼煙の物見塚ともいわれるが、定かではない。

●林泉寺(しばられ地蔵)
 慶長7年(1602)、伊藤半兵衛長光を開基として創建。境内にある地蔵尊は、願かけのときに縄で縛り、願がかなうとほどくことから、「しばられ地蔵」という。

●深光寺(滝沢馬琴の墓・切支丹灯籠)
 江戸末期の戯作者、滝沢馬琴の作品にはこの辺りを舞台とするものが多く、『南総里見八大伝』の犬塚信乃は、大塚の生まれ。大の字に点を打って犬塚と命名された。馬琴の墓近くにあるのが切支丹灯籠。竿石部には聖像が彫られている。

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