見どころ紹介

(1)染井吉野ゆかりの地散歩(駒込駅−庚申塚駅3.0Km)

●染井霊園
 明治初頭、新政府の神仏分離政策やキリスト教の普及によって、寺院墓地への埋葬が困難になりつつあった。しかし、神社や教会は墓地を所有していなかったため、公営の共同墓地が必要となった。染井霊園はこうした経緯によって、明治5年(1872)に雑司が谷霊園や青山霊園と共に開設された。広さは約6万7000u。もとは播州林田藩の屋敷地だった。長谷川辰之助(二葉亭四迷)、岡倉天心、高村光雲・光太郎・智恵子、若槻礼次郎などの著名人が眠っている。園内には樹木が生い繁り、散策を楽しむ人々の姿も多い。春にはソメイヨシノが咲き誇る。

●妙義神社
 祭神は日本武尊。文明4年(1472)、太田道灌はこの地から豊島氏の平塚城(現在の北区平塚神社の辺り)をのぞみ、戦勝祈願をして城攻めに向かったという。以後、多くの武将が戦勝祈願に訪れたことから、戦勝の宮とも呼ばれた。

●藤堂家棟門
 染井通りの南側、駒込四・五丁目のほぼ全域はかつて伊勢の津藩主藤堂家の下屋敷・抱え地であった。棟門は下屋敷の裏門にあたり、往時の大邸宅をしのぶ遺構として、通りの反対側に移築されている。

●西福寺
 創建年は不明だが、江戸時代から続く古い寺。東都第一の植木屋と称された伊藤伊兵衛の墓所として知られる。

●慈眼寺
 元和元年(1615)深川に創建。大正元年(1912)に現在地に移転。日蓮宗。歌舞伎「明烏花濡衣」の悲恋心中で知られる浦里・時次郎の比翼塚がある。また芥川龍之介、谷崎潤一郎(分骨)の墓もある。

●本妙寺
 もとは本郷にあり、明暦3年(1657)の大火(振袖火事)の火元として名高い。明治44年(1911)に現在地に移転。江戸町奉行遠山金四郎、北辰一刀流開祖千葉周作、歴代本因坊などの墓がある。

●真性寺
 創建年不詳。真言宗。本尊の薬師如来は行基の作と伝えられる。境内の地蔵は正徳4年(1714)に僧正元が江戸からの街道口に安置した江戸六地蔵の一つ。その六体は次の通り。一番品川寺(東海道)、二番新宿の太宗寺(甲州街道)、三番真性寺(中山道)、四番台東区の東禅寺(奥州・日光街道)、五番江東区の霊巌寺(水戸街道)、六番深川の永代寺(千葉街道)。ただし永代寺の地蔵は現存していない。

●高岩寺(とげぬき地蔵)
 とげぬき地蔵の名で親しまれる高岩寺。明治24年(1891)に下谷からこの現在地に移転してきた曹洞宗の寺である。「とげぬき」の由来は『続江戸砂子』によれば、病身の妻を案じた田付某なる男が、地蔵尊を一万体、紙に写して川に流したところ、たちまち妻が快癒した。田付某は享保13年(1728)尊像を寺に奉納し、以来その御影を患部に貼って祈願すれば、病気の”とげ”が抜かれると近隣の信仰を集めたという。また別の説では、誤って針を飲み込んだ女が御彫の札を飲み込むと、札と共に針が吐き出されたことに由来するという。
 毎月四の日が縁日。大正時代にはあまりの混雑に死者が出たほどで、以後露店は片側だけに制限されたが、賑わいは今も変わらない。参詣には小さな蝋燭を上げるのが習わし。場内の洗い観音は、患部と同じ場所をこすると病が治るといわれ、行列が絶えない。たわしであまりに洗われて摩滅したため、現在は二代目を白い布で洗うようになった。

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