見どころ紹介

(3)深川芭蕉庵散歩(新大橋−清澄庭園1.1Km)

●清洲橋
 ケルンの吊り橋をモデルに昭和3年完成。東山魁夷が「隅田川に架かる橋の中で最も美しい線の構成を見せていると讃えた、女性的な美しさを誇る橋。柱などにはガス灯風の装飾灯が用いられ独特の雰囲気が漂う。建造費はおよそ283万円。同時期に完成した他の隅田川の橋よりも100万円近くも高かったという。

●芭蕉記念館
 昭和56年、江東区により開設された。館内には地元の芭蕉研究家・真鍋儀十氏によって収集・寄贈された書や短冊など、2000点におよぶ資料が展示されているほか、研究会や句会にも利用されている。

●芭蕉稲荷
 大正6年(1917)の大津波のとき、芭蕉が使っていたとされるカエルの文鎮が発見され、これを祀つて稲荷をたて芭蕉翁古池の跡とした。

●旧新大橋
 旧新大橋は、五代将軍網吉が、市民の不便を憂えた生母桂昌院のすすめに従って建設したといわれる。石造標柱の碑は、現在の鉄橋より下流にあり、かつての新大橋の位置を示している。

●川船番所跡
 江戸幕府は物資流通の重要な水路であった小名木川河口の万年橋に船番所をおき、出入りする船を取り締った。このため万年橋は元番所橋とも呼ばれる。

●小名木川
 もともと徳川家康が行徳(千葉県市川市)の塩を江戸に運ぶために掘らせた川であったが、後には様々な物資の輸送に利用され、船番所がおかれるほどの重要な水路となった。

●清澄庭園
 もと紀伊国文左衛門の別邸跡で、維新後は前島密の屋敷があったところ。明治11年、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎が一部を買い取り、「深川親睦園」とよばれる回遊式庭薗を完成した。この庭園はその雄大さと庭石の種類の費富さで有名。関東大震災で建物の大半が失われたが、明治42年(1909)につくられた茶亭「涼亭」はいまなお健在である。

●平賀源内エレキテル実験の地
 27歳で脱藩し、讃岐(香川県)から江戸へ出てきた鬼才平賀源内。安永5年(1776)、源内は深川清住町の武田長春院の下屋敷で、「西洋人が雷の理を以て考案した器械」エレキテル(摩擦起電機)の実験を一般公開した。

●隅田川
 かつては屋形船が繰り出し、江戸市民が遊びに興じた隅田川。高度成長期には死の危機に瀕したこの川の環境も再生されつつある。桜橋周辺の親水護岸やリバーシティ21など川辺に再び人が集まるようになってきた。浅草吾妻橋から日の出桟橋や葛西臨海公園へ、隅田川を下って東京港を航行する水上バスは、新しい東京をみせてくれる。亀戸からお台場間を走る江東水上バスも、運河から隅田川へは閘門を通過するなど、船好きには楽しい航路となっている。

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