見どころ紹介

(1)丸の内今昔散歩(大手町−桜田門2.4Km)

●北町奉行所跡
 江戸幕府が江戸市中支配のために任命し、町人に関ずる行政、裁判、警察なピを司どったのが町奉行。定員2名で北と南とにわかれ、月番で執務した。北町奉行所は旧呉服橋門内にあつた。「いれずみ奉行」のモデルといわれる遠山左衛門尉景元は天保11年(1840)3月から3年間、北町奉行をつとめた。なお、南町奉行所は、現在の有楽町マリオン付近であった。

●東京駅
 辰野金吾工学博士と葛西万司工学士の設計。明治41年(1908)に建設工事が開始され、6年半もの歳月を要し、大正3年(1914)に完成した。これが現在丸の内側に残っている赤レンガ造りの駅舎である。初代駅長は高橋善一で、当時の一日の平均利用者は約9600人であった。本屋は平成15年4月重要文化財に指定。戦災被災前の三階建ての丸ドームが復元される予定。

●逓信総合博物館(ていぱーく)
 郵政省、NTT、NHK、KEDDが共同で運営。電信、電話、郵便、放送に関して、そのシステムや原理、歴史そして最新技術によるニューメディアなどを実物・模型・ビデオなどでわかりやく解説してくれる。テレビ電話やNHKのミニスタジオ、世界各国の切手の展示等。月曜日休館。

●将門塚
 天慶3年(940)、いわゆる「天慶の乱」で朝廷に反旗を翻した平将門は下総国で滅ぼされた。その首は京の都大路でさらされた後、所縁の者によって当時の武蔵国豊島郡平川村(皇居平川門のあたり)の観音堂のかたわらに埋葬されたと伝えられているが、白光を発した生首が京から飛来し雷雲をもたらしたという伝説もある。この塚が一名「首塚」とも呼ばれる由縁だが、現在では
大手町のビジネス街にあるパワースポットとして多くの人が訪れる。

●伝奏屋敷跡・御評定所跡
 伝奏屋敷は勅使、院使等が江戸に来るときの滞在宿舎で、公家衆御馳走屋敷とも呼ばれた。評定所は江戸幕府の最高司法機関。老中、三奉行などが参集して裁判に当たった。寛文6年(1666)、伝奏屋敷の隣に建てられた。

●日本工業倶楽部
 大正9年(1920)竣工。設計者は、横河民輔。財界有力者たちの社交クラブとして建築された。

●丸ビル
 二代目丸ビルは平成14年9月に新装オープンした37階建てのオフィス兼ファッションビル。開業直後の3日間で41万人が押し寄せた。今も一日平均6、7万人の人出でにぎわう丸の内の名所になっっている。初代丸ビルは大正12年(1923)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート9階建であった。昭和4年の佐藤千夜子の大ヒット曲「東京行進曲」(西条入十作詞)で「恋の丸ビル あの窓あたり 泣いて文書く 人もある」と歌われた、当時の日本一の“ビルヂング”である。丸ビルは当時まだ珍しかつた電灯を用いていたため、きらめく窓明りが人々を熱狂させたという。

●広重誕生地跡
 「東海道五十三次」などの風景画で名高い安藤広重は、寛政9年(1797)、火消同心の子として八代洲(八重洲)河岸定火消の組屋敷に生まれた。広重は27、8歳ごろまて火消同心をつとめていたという。

●東京府庁舎跡
 明治元年(1868)、新政府の府県制度確立に伴い東京府が旧江戸を中心に設置され、府庁舎はまず内幸町の郡山藷主柳沢邸に開庁した。明治27年丸の内に移転。妻木頼黄博士の設計で重厚なドイツ風建築として竣工したが、戦災により焼失した。

●東京国際フォーラム
 もとは土佐藩山内家の屋敷跡で、明治27年(1894)からは東京府庁舎、昭和32年からは東京都庁舎が立てられていた。昭和60年の東京都シティホール建設計画基本構想を機に、都庁の新宿移転と丸の内の国際フォーラム建設が決定。平成9年1月、4つのホール棟とシンボリックなガラスホール棟からなる施設が完成した。日本で初めて行われた国際建築家連合(UIA)公認の国際公開設計競技により、応募数395点の中から選ばれたデザイン案が採用された。

●明治生命館
 昭和9年(1934)に竣工した明治生命館は日本の近代様式建築の中でも傑作の誉れ高く、大きなコリント式の柱が並ぶ様は、現代のオフィスビルには見られない壮麗さと風格が漂う。設計はニコライ堂や歌舞伎座の設計を手がけた岡田信一郎。もともと身体が弱かった岡田は、明治生命館の工事途中に死の病に臥す。それでも現場の状況をフィルムで撮影させ、病室から工事の指揮をとったという。東京大空襲、GHQ(連合国軍最高指令官総司令部)の接収など昭和の激動を乗り越えてきた。平成9年に昭和の建築で初めて国の重要文化財の指定を受けた。1階店頭営業室、2階会議室・応接室・食堂などを一般公開している。土曜日曜11:00〜17:00。無料。問合せ03-3283-9252

●太田道灌像
 太田道灌(1432〜86)は室町中期の武将。康正元年(1455)父のあとを継いで扇谷上杉定正の執事となり、長禄元年(1457)江戸城を築いて本拠地とした。道灌は軍法に明るく、その足軽軍法は名高い。また築城の術に秀でていた。東京都庁の銅像は朝倉文夫の昭和31年の作

●第一生命館
 昭和13年11月3日竣工。銀座の和光や東京国立博物館などの大作を手がけた渡辺仁と松本與作が設計を担当。昭和20年9月15日より同27年7月7日までGHQ(連合国軍総司令部)本部が設営された。

●和田倉門跡
 家康が江戸入城のとき、一の蔵地として士衆通行の橋を架け、門を設けて蔵の御門と称した。江戸城以前、ここは和田という地名であつたことから和田倉門と呼ばれるようになったという。昭和53年に擬宝珠をもつ欄干が再現された。

●巽櫓
 江戸城に残る唯一の隅櫓。桜田二重櫓とも呼ばれる。

●桔梗門
 内桜田門とも呼ばれ、三の丸に入る南門である。道灌の桔梗紋が屋根瓦に残っていたのでこの名があるという。なお、桜田門は正式には外桜田門と呼ばれる。

●富士見櫓
 江戸城遺構中唯−の三重櫓.どこから見ても同じ形にみえることから「八万正面の櫓」とも呼ばれる。明暦の大火後、天守閣が再建されなかつたので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられる。

●旧百人番所
 大手三の門を守衛した鉄砲百人組の詰所。徳川氏と縁故のある甲賀姐、根来組、伊賀組、廿五騎組が警備にあたり、各組に同心百人ずつが所属していたので百人番所といわれた。

●楠木正成像
 大阪の豪商住友吉左衛門の寄付により、明治30年(1897)に建設された。勢いあまった鞍馬の手綱をひかえつつ、後醍醐天皇に敬礼する姿といわれる。人物は高村光雲、馬は後藤貞行の作。

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