見どころ紹介

(1)下谷縁日散歩(上野駅−鷲神社2.8Km)

●富士塚
 仁寿2年(852)の創建といわれ、小野篁・菅原道真を祀る小野照崎神社の本殿裏手に富士山のミニチュア富士塚がある。この高さ5mほどの小山は、富士から運ばれた溶岩で造られたものだ。
 この「富士の写し」は、江戸庶民の間に流行した富士講という富士山信仰から生まれたものである。富士塚は老人・子供・足弱の者・女性(富士山は女人禁制であった)など富士山に登ることができない人々のために各地に造られたという。
 小野照崎神社の富士塚は現在、毎年6月30日と7月1日の「お山開き」に一般に開放され、人々は1l合目から8合目へと細い道をぐるぐる廻りながら、頂上まで登ることができる。

●竜門橋碑
 かつて不忍池の西側の堀には、6つほど橋か架けられていた。月見橋、蓮見橋、花月橋、中橋、雪見橋そして竜門橋である。竜門橋は不忍池の水が忍川に落ちる所にあったが、関東大震災後姿を消した。

●公衆電話発祥の地碑
 日本最初の公衆電話(当時の呼称は自動電話)は明治33年(1900)新橋駅と上野駅に登場した。国産第一号の電話機が誕生してから22年後のことである。

●広徳寺跡
 台東区役所新庁舎の東口にあった。寛永12年(1635)神田から下谷に移り、明治維新までは塔頭15院を有す江戸屈指の名刹であつた。加賀百万石前田家、詩人菊地五山、茶人県宗和らの墓もあった。大震災後、練馬区桜台に移転。

●下谷神社
 天平2年(730)に創建されたといわれる。祭神は大年神(穀物の守護神)と日本武尊。本殿には横山大観筆の天井絵『竜』がある。大祭は5月11日。

●永昌寺
 永禄元年(1558)の創建。現在の地へは元和2年(1616)に移転、講道館柔道の創始者嘉納冶五郎がこの寺に寄宿し、はじめて道場を開いた事で有名である。

●入谷乾山窯元碑
 名陶工といわれた京の人尾形乾山は、画人尾形光琳の弟。享保年間(1716〜1735)輪王寺宮公寛法親王に従い、入谷の地に移り窯を開いた。その窯の作品は入谷乾山と呼ばれ珍重される。

●真源寺(入谷鬼子母神)
 「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」と江戸後期の人、大田蜀山人がいったとか。
 江戸三大鬼子母神のひとつ、真源寺は万治2年(1659)日融上人により創建された。ここでは鬼の宇にツノのない「鬼」を使う。本尊は子育てに霊験があるからだ。 
 鬼子母神とは仏教上の女神で、千人の子を産んだが、他人の子を奪って食べたので、仏は彼女の最愛の末子を隠し、これを戒めた。以後、仏法の護法神へ転向した。7月6〜8日境内に朝顔市がたつ事もよく知られている。

●お化け地蔵
 全得寺は寛永11年(1634)創建。戦後再建され今日に至る。お化け地蔵の由来は次のとおり。松原松之丞という旗本が上屋敷につかえる小菊と逢瀬を重ねた。仲を怪しんだ松之丞の妻は小菊を全得寺へ誘い出し、境内の松に吊り下げて自殺に見せかける。だが吊り下がっていたのは不思議にも地蔵尊であつた。これにより身替わり地蔵として今も言仰を集めている。

●正宝院(飛不動)
 享禄3年(1530)創建。江戸七不動のひとつ。昔住職がわけあって吉野の大峰山へ本尊を移して修業をしていた折、一夜にして下谷の本堂に飛び帰ってきたので、世に飛不動という名がついた。その名にちなみ、飛行お守が授けられ、航空関係者や空の旅をする人々が参詣に訪れる。

[TOPへ]   [沿道のコラムへ]   [コースガイドに戻る] 

 

 

 

Copyright© 1999-2017さんぽみち総合研究所 All Right Reserved
質問等は、こちらまで sampo@e-sampo.co.jp