見どころ紹介

(1)芝御成道散歩(日比谷公園−赤羽橋3.0Km)

●新聞創刊の地稗
 明治7年(1874)洋学者の子安峻らにより創刊された読売新聞の発祥の地。有数の全国紙である読売も、当初は「東京の新聞」としてスタートしたのである(朝日、毎日の創刊は大阪)。

●真福寺
 幕府が各国と通商条約を結んだ安政5年(1858)、真福寺は外国使節の宿館にあてられ、ロシアのプチャーチンの他、オランダやフランスの使節も滞在した。

●NHK放送博物館 〒105-0002 東京都港区愛宕2-1-1   TEL 03-5400-6900
 昭和31年開館の、世界最初の放送博物館。放送番組、放送技術、放送史に関する様々な資料を展示。日本の放送開始以来約80年。ラジオからテレビへ、衛星放送やハイビジョンヘなど様変わりしてきた放送の歴史を中心に、約2万件の放送資料と約6千5百点の放送関係図書を所蔵し、順次公開している。またNHKがこれまで放送してきた人気番組や特集番組なども視聴できるコーナーもある。
休館日:月曜日 年末年始
開館時間:午前9時30分〜午後4時30分
入場料:無料

●青松寺
 文明8年(1476)太田道灌が現在の千代田区平河町に建て、慶長5年(1600)現在地に移った。江戸時代の美作津山藩の槍持、芦田勘助の墓は人を形どった珍しいもの。曹洞宗。近年、大正12年の関東大震災以前の伽藍が復活、坐禅堂、衆寮堂も再建され、21世紀の国際禅センターとして、誰でも参加ができる開かれた禅苑をめざしている。儒者井上金峨、肉弾三勇士の墓もある。

●三門・御成門
 三門(三解脱門)は、増上寺の中門にあたる高さ21mの壮大なもの。楼上には釈迦三尊、四天王、十六羅漢像が安置されている。御成門は裏門として作られ、将軍参詣の際用いられた。明治30年(1897)までは、今の御成門交差点にあった。

●烏森神社
 もともとは稲荷社で、平将門を平定した藤原秀郷が勧請したといわれる。天正18年(1590)一時焼失したが、江戸時代初期に再興された。明治以降、烏森は歓楽街として名を馳せたが、神社周辺は今もその余韻を残している。

●浅野内匠頭終焉の地碑
 「松の廊下」刃傷事件が起きた元禄14年(170I)3月14日、内匠頭が捕えられた田村右京太夫の屋敷跡。内匠頭はここでその日のうちに切腹。辞世の句は、「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残りを如何にとやせん」。

●大倉集古館 東京都港区虎ノ門2−10−3  03-3583-0781
 実業家大倉喜八郎が大正6年(1917)に創立した日本初の私設美術館。「古今和歌集序」などの国宝3点を含む美術品約1,700点、漢籍、浄瑠璃本等の書物35,560冊を収蔵。ホテルオークラ本館の隣。
休館日:月曜日
入館料:大人700円、大学生・65歳以上500円、小中高生300円

●外務省外交史料館 
 昭和46年開館。幕末から現代までの外交関係の資料を収蔵、展示している。史料館と並んで、外国貴賓の接待に使用される外務省飯倉公館がある。閲覧:原則として満20才以上は、所定の手続きの後閲覧できる。
展示:幕末からサン・フランシスコ平和会議までの史料および吉田茂元総理の遺品や関係資料が展示されている別館展示室は、誰でも見学可能。
開館時間:10:00〜17:00
休館日:土曜、日曜、国民の祝祭日、年末年始(12月28日〜翌1月4日)および臨時の休館日として公示した日。(電話にて確認のこと)

●芝公園
 開園は明治6年(1873)で、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に日本最初の公園のひとつ。現在では増上寺を囲むような形状になっている。高さ10mの滝がある紅葉谷は、人工の渓谷。野球場、テニスコート等の施設の他、ペルリ提督像、伊能忠敬測地遺功表などもある。

●宝珠院
 貞享2年(1685)の作といわれる閻魔大王像のほか、港区七福神のひとつ、弁才天を祀る(他は、久国神社の布袋尊、天祖神社の福禄寿、桜田神社の寿老人、麻布氷川神社の毘沙門天、大法寺の大黒天、熊野神社の恵比寿、さらに十番稲荷神社の宝船も加えられている)。

●丸山古墳
 4、5世紀頃のものと推定される前方後円墳。全長112m、後円部径約65mは都内最大規模といわれる。その全容は東京タワーから眺望できる。

●旧芝離宮恩賜公園 東京都港区海岸1−4−1 03-3434-4029
 延宝6年(1678)、ここを上屋敷とした老中大久保忠朝が築いた回遊式汐入林泉で、楽寿園と名づけられた。現在の広さは、約4万3,000u。大正13年昭和天皇御成婚記念として東京市に下賜され、「旧芝離宮恩賜庭園」とし
て一般公開されるようになった。
開園時間 :午前9時〜午後5時(入園は午後4時半まで)
休園日:12月29日〜翌1月3日
入園料:一般および中学生150円、65歳以上70円。小学生以下、および都内の中学生は無料

●愛宕山
 「当山は懸岸壁立(けんがんへきりふ)して空を凌ぎ、六十八級の石階は、畳々として雲を挿が如く聳然(しゅうぜん)たり‥…」。『江戸名所図会』に描かれた愛宕山は、正に江戸一番の美景の地。標高26mの山頂から、かつては東京湾や房総半島まで見晴らせたという。また、愛宕神社は江戸時代、火の神として市民の信仰を集めた。
 正面の男坂と呼ばれる石段は、現在では86段と幾分ゆるやかになっている。それでも、徒歩での登り降りにかなりの困難と恐怖を与える急傾斜。講談で有名な曲垣平九郎はこれを馬で昇降したという。大正14年(1925)に同じ方法で挑戦した陸軍参謀本部部員岩本利夫は、上りは一気に駆け上ったものの、下りには馬の後ろ足を引きずりつつ、45分もかかったという。

●東京タワー
 東京タワーは高さ333mのアンテナからテレビ用電波8波を発信しているテレビ塔で、テレビ放送の要。FM用波やその他の公共通信波をあわせると、発信されている電波は合計60数波に及ぶ。また近くの愛宕山のNHK放送博物館は日本最初の放送局JOAKの跡地で、ラジオしかなかった時代の放送の中心地であった。
 日本初のラジオ本放送は大正14年(1925)7月12日。その約4ヶ月前に芝浦の東京高等工芸学校で始められた試験放送ではまだ設備が未熟で、逓信省からの通告によりあわや延期になりかけたほどであった。放送局は面目をかけて予定通りに開始したが、初日(3月1日)に放送された三味線の音を聴いた宮城道雄は、「鉄板をひいているかと思われるやうに、重い感じの音」「尠(すくな)からず悲観していました」と感想を述べている。ちなみにテレビ本放送開始は、約30年後の昭和28年2月1日。
 今日ではこうした各種放送電波以外に、大規模地震を想定し、東京駅を中心とした100キロ圏内を運行する列車の防護のために、緊急停止信号を発射するJR東日本の防護無線用アンテナ(災害用非常通報装置)が設置されている。電波塔として以外にも、大気汚染等の公害調査のため東京都公害局の風向風速計、温度計、硫黄酸化物測定器などが高度別に取り付けられ、他にも大展望台2階と東京タワービル4階には強震計が取りつけられ観測もしている。

●福沢・近藤両翁学塾跡
 福沢諭吉が安政5年(1858)に築地鉄砲洲に開いた蘭学塾が、当時芝新銭座と呼ばれていたこの地に移ったのは慶応4年(1868)。このとき、年号に因んで慶応義塾と命名されたのである。福沢は上野戦争の当日も休まず授業を続けたという。
 慶応義塾は明治4年(187I)、三田に移転し、跡地に近藤真琴の攻玉舎(現在の攻玉舎学園)がおかれた。当時の攻玉舎の出身者には海軍将校が多く、また総理大臣鈴木貫太郎、歌人吉井勇ら多くの人材を輩出した。攻玉舎も震災後大正14年(1925)、旧品川区大崎町へ移転した。

[TOPへ]  [沿道のコラムへ]  [コースガイドに戻る] 

 


Copyright© 1999-2017さんぽみち総合研究所 All Right Reserved
質問等は、こちらまで sampo@e-sampo.co.jp