見どころ紹介

(2)三田坂めぐり散歩(赤羽橋−伊皿子坂2.3Km)

●赤羽橋
 江戸時代には「三田のはし」とも呼ばれていた。古くは、この橋名にちなんで辺リ一帯を赤羽町と呼んだという。古川に架かる橋には他に、金杉橋、将監橋、中之橋、一〜五之橋、狸橋などがある。

●綱坂・綱の手引坂
 羅生門の鬼退治の話で名高い渡辺綱は、平安朝の武士。その綱が近くて生まれたという伝説から坂の名かつけられたという。この2つの坂を昇降すれば三田段丘を越えたことになる。

●慶応義塾三田演説館
 明治8年(1875)開館の日本最初の演説会堂。欧米流のスピーチを日本に普及させようと、福沢諭吉が私費を投じて建てた。当時の洋風建築としては珍しく木造、瓦葺き、なまこ壁を採用している。国指定重要文化財。

●西応寺
 安政5年(1858)日蘭修好通商航海条約締結後、最初のオランダ公使宿館が設置され、初代公使クルチュウスらが駐在した。慶応3年(1867)薩摩屋敷焼打ち事件の兵火で全焼した。

●勝海舟・西郷隆盛会見之地碑
 江戸開城をめぐる勝・西郷会談が行われたのは、慶応4年(1868)3月13、14日(江戸開城は同年4月11日)。13日が高輪の薩摩藩下屋敷、14日が芝の薩摩藩蔵屋敷て、この蔵屋敷跡に記念碑か建てられた。

●産業安全技術館 〒108-0014 東京都港区芝5-35-1 産業安全会館1、2階 TEL:03-3452-6431
 産業安全、災害防止に関する各種設備・装置を「爆発災害防止」「感電災害防止」等のテーマ別に展示、解説する。装置や模型を実際に操作、また3DやVRの疑似体験できるシアターなどがある。参考資料の閲覧サービスもある。専門の解説員もいるので、必要なら要事前連絡
休館日:日・祝日、年末年始。臨時休館あり
開館時間: 9:30〜16:00
入館料 :無料

●元和キリシタン遺跡
 元和9年(1623)12月4日、徳川家光がイタリア人神父・修士ら50名のキリシタンを火刑に処した刑場の跡。処刑されたキリシタンの中には家康の小姓だった原主水もいた。追放や厳しい体罰などの迫害にも屈せず、潜伏して布教活動を続けていた主水は、ここで遂に倒れたのだった。が、彼ら宣教師たちは炎に包まれながらなお、最後まで説教を続けたという。

●放送記念碑
 現在の東工大附属工高はもと東京高等工芸学校があったところで、大正13年(1924)東京放送局の仮局舎が高等工芸の図書舘書庫に設置された。というのも隣接する逓信省電気試験所跡に残されたアンテナをそのまま流用するためであった。翌年、愛宕山で本放送が開始されるまで、ここで仮放送が行われた。これが日本最初の放送であった。

●伊皿子遺跡
 縄文、弥生、古墳等の各時代の遺跡が、一ヶ所に重なって姿を現わし、あたかも教科書の説明図の様相を呈した大変めずらしい遺跡。大正13年(1924)発掘。

●水野監物邸跡
赤穂四十七士のうち、間十次郎ら9名が預けられ、切腹をとげた出羽山形藩水野監物の中屋敷があったところ。近くのイタリア大使館庭内には大石主税ら10名が切腹した記念碑かある。こちらは当時、松平隠岐守の中屋敷だった。

●済海寺
 日仏修好通商条約締結後の安政6年(1859)、フランス公使宿館になり、明治3年(1870)公使が引き払うまで使われた。隣接する亀塚とともに、更級日記に現れる駆落ち伝説の地、竹柴寺の跡地と目されてもいる。武蔵の国から京都に徴兵された若者と皇女(天皇の娘)が駆落ちして暮した愛の住居を、のちに寺にしたといわれるのが竹柴寺である。寛仁4年(1020)、父親に連れられて、旅の途中、この地を通りかかった13歳の少女がその寺を見、また物語を聞いて深く心を動かされる。この少女こそ菅原孝標の娘で、数十年後、この思い出が更級日記に書きとめられることになる。

●亀塚
 大型の円墳であると推定されている。また竹柴寺の伝説の地とも言われるが、真相は定かではない。

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