見どころ紹介

(3)赤坂山王散歩(乃木坂−桜田門3.1Km)

●旧乃木邸・乃木神社
 日露戦争の旅順の攻防で名高い明治の軍人乃木希典は、明治天皇崩御に際し殉死をとげた。その自刃の舞台となったのが旧乃木邸である。邸は明冶35年(1902)旧陸軍の範であったフランス軍の連隊本部を模して建てられた。木造の母屋とレンガ造の馬小屋が当時の姿をそのまま留めている。隣接地には、遺徳を偲んで建立された乃木神社がある。

●乃木坂
 旧乃木邸に面した坂は幽霊坂、行合坂などと呼ばれていたが、乃木大将殉死後、赤坂区議会の決議で乃木坂と改称された。

●報土寺
 報土寺には、江戸時代中期の儒学者で、老中水野越前守や高田藩主榊原候に重用された井部香山と、江戸時代後期の超人力士雷電為右衛門の墓がある。

●氷川神社
 氷川神社の創始は天武3年(674)とも天暦5年(951)ともいわれる。境内の社殿は享保15年(1730)将軍吉宗が建立。華美を排した質素な造りは、倹約を励行した享呆の改革を反映している。

●日技神社
 山王様と呼ばれる日枝神社は江戸城の開祖太田道灌によって文明10年(1478)に勧請された。万治2年(1659)現在の地に移転してきてからは将軍家の産土神として厚遇された。当神社の山王祭は江戸三大祭りのひとつである。

●山王坂と山王男坂・山王女坂
 国会議事堂方面から日枝神社の社前に下る坂を山王坂という。この坂に続く日枝神社の52段の石段は山王男坂、左に折れカーブしながら上る坂は山王女坂と呼ばれる。

●渡辺華山誕生の地
 幕末の蘭学者・画家として名を残す渡辺華山は、寛政5年(1793)田原藩の長屋(三宅坂近く)に生まれ、生涯の大半をこの地で過ごした。華山は、江戸詰家老として藩の殖産興業に努める一方、高野長英らと尚歯会を結成、西洋事情の研究、紹介に尽くしたが、「慎機論」で幕府を批判したため蛮社の獄につながれ自殺する。

●三宅坂
 小説の題材になり、また景勝の地としても知られる東京の代表的な坂のひとつ。「新撰東京名所図会」には「教育総監部の前よりも皀角(さいかち)河岸に下る坂を三宅坂という。教育総監部の地は、旧三宅備前守上屋敷の跡なり。三宅家の邸宅あるにより三宅坂の名称起る。」とある。また、坂に沿ってかつては皀莢の木が茂っていたので皀莢坂とも呼ばれ、樫木坂という名もあった。

●国会議事堂
 左右に衆議院・参議院を配し、中央に高さ65.45mの塔を備えた議事堂が完成したのは昭和11年。大正7年(1918)と9年の二度にわたって公募された原案をもとに、17年の歳月と総工費2900万円を投じて建てられた。

●憲政記念館
 わが国の議会開設80年を記念して、昭和47年3月に設立された。館内では、国会のしくみを、内外の資料を使ってわかりやすく紹介。大隈重信や高橋是清なと歴史に名高い政治家の声がレシーバーごしに語りかけてくるディスプレイをはじめ、憲政の歴史や尾崎行雄などの功労者たちにまつわる資料が展示され、講演会や特別展などとともに、議会制民主主義への理解を深めることができる。

●国会前庭(加藤清正邸跡・井伊掃部頭屋敷跡)
 ここは江戸時代のはじめに加藤清正の上屋敷のあつたところ。寛永9年(1632)幕府に召し上げられ、以降は井伊家の上屋敷となった。井伊家といえば、幕末の動乱期に安政の大獄を指揮した大老井伊掃部頭直弼が特に名高い。

●日本水準原点
 日本水準原点は明治24年(1891)、国によって設置された。標高24.414m、長期にわたる東京湾の潮位観測結果をもとに定められた。これが全国の土地の標高を決める尺度になっている。

●桜田門
 正しくは旧江戸城外桜田門。寛永13年(1636)の姿を今に残す梯形が完全に現存している城門である。また、幕末の大老井伊直弼暗殺の舞台となった事で知られている。

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