見どころ紹介

(2)内藤新宿散歩(新宿駅−四谷大木戸2.0Km)

●新宿追分
 追分とは街道の分岐点のこと。ここには一里塚や高札が立っていた。慶長9年(1604)の甲州街道に続いて同11年青梅街道が定められた時に新宿追分が成立した。元緑11年(1698)には内藤新宿が設けられ甲州街道第一の宿場として栄えた。

●天竜寺
 天竜寺は、将軍秀忠の生母西郷の局の実父戸田忠春の菩提寺として幕府の手厚い保護を受けていた。境内には江戸三名鐘の一つとして上野寛永寺、市谷八幡の鐘と並び称された「時の鐘」や、鐘を叩く時刻を刻んだやぐら時計が残っている。「天竜寺の六つ」といわれた早朝のこの鐘の音を聞いて役人は仕事に出かけ、遊廓の客は家に帰ったという。

●新宿御苑
 約10万坪(33ha)の敷地を持つ都心のオアシス、新宿御苑が一般公開されるようになったのは昭和24年以降のこと。それまでは宮中の観桜会や観菊会が催される皇室のパレスガーデンだった。現在も園内に残る温室や西洋式庭園台湾閣は宮内庁管轄だった頃の姿を留めている。大正6年(1917)以来は、内閣総理大臣主催の観桜会(現在は「桜をみる会」)がここで開かれる。日本庭園は江戸時代 内藤家の下屋敷内につくられたもの。内藤家は家康入府の際に四谷方面を検分して家康を迎え、以来城西の地を拝領した。広大な屋敷は新宿御苑の原形となり、現在は環境省が所管する国民公園となっている。

●大温室
 日本最初の温室として新宿御苑の大温室がつくられたのは明治36年(1903)。初めは宮中で用いられる野菜や花などの栽培が主な目的だった。その後いく度かにわたる増改築を経て、現在は、約3300uの敷地に日常生活に関わりの深い嗜好植物、熱帯果樹等2300種あまりの植物が栽培されている。

●太宗寺
 浄土宗寺院で霞関山本覚院という。内藤氏の菩提寺で江戸時代には特に厚遇された。内藤新宿の外れにあったことから多数の参詣者があり、門前町も形成されていた。金剛地蔵や閻魔像など江戸時代からの文化財を残す。

●成覚寺
 文禄3年(1594)創建。江戸時代、宿場の遊女の死体がよくここに投げ込まれたことから投げ込み寺といわれ、境内には遊女たちを弔つた地蔵や碑がたっている。寛政期の戯作者恋川春町の墓もある。

●正受院
 文禄3年(1594)創建。毎年2月8日、境内にある針塚を中心に盛大に行なわれる針供養で知られる。針供養は、本堂に安置されている脱衣婆像に咳どめを祈願した人が真綿を奉納したことから、裁縫の神様を祀るものとして始まったという。

●かめわり坂
 成覚寺前から靖国通りを東に上る坂。厚生年金会館前にあった弁慶橋に因んで名付けられた。弁慶とかめわり(お産を意味する)の関わりは、義経と北の方の間にもうけられた赤子を彼が取り上げたことに由来するとされる。

●三遊亭円朝旧居跡
 区立花園公園の北隅に、明治の落語界の重鎮三遊亭円朝の旧居碑がある。円朝は「怪談牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」「塩原多助一代記」など、怪談噺や人情噺を得意とした落語家。新宿に居を構えていた頃には、新宿や戸塚を題材にとって、「怪談乳房榎」や「名人長次」を執筆した。

●玉川上水記念碑
 玉川上水は 承応2年(1653)に江戸幕府の命をうけた西多摩郡羽村の豪農玉川兄弟によって開かれた。幕府から下賜された財源は、全長40キロに及ぶ工事の途中で尽きてしまった。そこで玉川兄弟が私費を投じ、不足分をまかなって完成にこぎつけたという逸話が残る。明治18年(1885)に建てられた碑には、玉川上水建設の理由や、玉川兄弟の功績をたたえた文がしるされている。

●水番所跡
 玉川上水の水は、ここから地下へ潜って江戸城下へ配分されていた。水番所は、水質管理や水量調節をしていたところ。

●四谷大木戸跡
 新宿通り四谷四丁目交差点には、江戸時代四谷大木戸が置かれ、元和2年(1616)から寛政4年(1792)にかけて、甲州街道の要衝として江戸に出入りする人や物資を監視した。四谷大木戸の碑は、玉川上水の石樋を利用してたてられた。

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