見どころ紹介

(1)品川宿場散歩(品川駅−浜川橋3.9Km)

●品川神社(新東京百景)
 創建は古く、文治3年(1185)源頼朝が安房から洲崎明神を勧請したものと伝えられる。永享4年(1432)には品川湊の豪商が社殿を再建したといい、また文明10年(1478)には太田道灌が祇園社を勧請するなど、地元の有力者の庇護を受けてきた。江戸時代は北品川稲荷社と呼ばれ、北品川宿と歩行新宿の鎮守であった。明治に入って品川神社と改称した。毎年6月初句に行われる天王祭は 祇園社の牛頭天王を祀るもので、荏原神社の天王祭と区別して北の天王祭と呼ばれる。見ものは千貫御輿と呼ばれる大御輿。かつては神社正面の息な石段をこの千貫御輿が渡御された。

●御殿山
 太田道灌の舘があったとの説もある。鷹狩に訪れた将軍のための仮御殿が設けられたことからこの名があるという。明治に入ってからは原六郎をはじめ実業家たちが多く住む高級住宅地となった。

●原美術館
 20世紀初頭のドイツのバウハウス様式(機能主義建築)を取り入れた原郎は昭和13年の建造。昭和54年に日本でも数少ない現代実術の専門館として開館した。
開館時間:11:00〜17:00 水曜のみ20:00 pmまで開館(祝日の場合を除く) (入館締切:閉館30分前)
休館日:月曜日[祝日の場合は開館、翌日休館]
入館料:一般 \1000 大高学生 \700 小中生 \500 (70才以上と原美術館メンバーは無料)
140-0001 東京都品川区北品川4-7-25
Tel: 03-3445-0651

●寄木神社
 「江戸漁業根元之碑」が示す通り、品川の漁師たちの鎮守である。日本武尊の東征の際、海神の怒りを鎮めんと入水した妃の弟橘姫命の着衣(あるいは船の一部)が品川沖に流れ着き、これを祀ったのが始まりとされる。鏝絵(こてえ)で知られる伊豆長八の「天孫降臨図」が残されている。

●荏原神社
 商品川宿の鎮守。かつて目黒川は神社の北側を流れていたが、昭和3年の改修で現在のようになった。創建は和銅2年(709)。北の品川神社に対して南の天王様と呼ばれる。6月初旬の禁札は−名かっぱ祭といわれ、御輿の海中渡御で名高い。

●東海寺
 将軍家光が寛永15年(1638)に建立。臨済宗。開基は沢庵漬の考案者、沢庵和尚。江戸時代の寺域は現在の大山墓地にまで至る広大なものだったが、維新後は幕府の庇護も失い縮小された。現在の東海寺は塔頭(本寺の境内にある小寺)の玄性院が寺号を引き継いだもの。

●願行寺(しばり地蔵)
 明応年間(1492〜1501)の創建とされる。浄土宗。境内の地蔵は、しばり地蔵と呼ばれ、病に苦しむ人が荒縄でこの地蔵を縛れば御利益があるとされている。

●天妙国寺
 創建は弘安8年(1285)。法華宗。品川湊の豪商たちの庇護を受け、文安3年(1446)には五重塔が建立された。江戸湊の帆船はこの塔を目印に入港したという。

●品川寺(江戸六地蔵)
 創建は大同年間(806〜810)という品川区では最古の寺。真言宗。入口の地蔵菩薩は宝永5年(1708)深川の僧正元が江戸の入口6カ所(浅草、新宿、巣鴨、深川2カ所)に建立した江戸六地蔵の一つ。

●海雲寺(千躰荒神)
 創建は建長3年(1251)。当初は海晏寺の塔頭で臨済宗であったが、後に曹洞宗に改めた。千鉢荒神は火と水の神、また台所の神として信仰を集め、3月とll月の27・28日の縁日は大勢の人出で賑わう。

●ゼームス坂
 「浅間台を下るのでもとは浅間坂と称していたが、明治時代に英国人の船長キャプテン・ゼームスがこの坂側に住みつき、私費を投じてけわしい坂をゆるやかに改修し、その恩恵をうけた土地の人々はいつとなくゼームス坂とよぶにいたった」(石川悌二者『東京の坂』)。J・M・ゼームスは明治5年(1872)以来、海軍省で初期日本海軍の指導に当たった人物。大の日本びいきで、熱心な日窪信者だったという。明治41年に死去。「我海軍の恩人ゼームス逝く」と新聞は詳しく報じた。なお、坂下西側には『智恵子抄』で知られる高村光太郎の妻智恵子が入院したゼームス坂病院があった。
 大規模な戦災を受けなかった品川には古い街並が多く残っているが、昭和初期のなつかしい看板建築が並ぶゼームス坂もその一つ。様々な意匠を凝らした銅版を建物の表面に張り付けたその姿は都内でも時おり見かけるものだが、この坂にはまとまって残っている。

[TOPへ]   [沿道のコラムへ]   [コースガイドに戻る] 

 

 

 

Copyright© 1999-2017さんぽみち総合研究所 All Right Reserved
質問等は、こちらまで sampo@e-sampo.co.jp