見どころ紹介

(2)伊興寺町散歩(竹の塚駅−古千谷橋2.4Km)

●東岳寺
 戦後浅草から当地に移転。曹洞宗。安政5年(1858)に没した初代安藤広重の墓と記念碑がある。戦災で破壊された墓石は昭和33年、広重百回忌に再建された。記念碑の傍らには米国人J.S.ハッパー(昭和11年没)の墓がある。日本に在住し、日本文化を世界に紹介したハッパーは、広重に憧れ、自ら広重ハッパーと称した。墓地には「柳多留版元花屋久次郎遺跡」もある。

●実相院
 江戸時代より伊興の子育て観音として知られる。伝説によると、寺の創建は天平年間(729〜748)。諸国行脚中の僧行基がこの地で一本の流木に霊感を受けて観音像を彫りあげ、一寺を建立してそれを奉納したという。本尊の聖観世音菩薩は秘仏で、12年に一度の午の年に開帳される。真言宗豊山派。

●見沼代(みぬまだい)親水公園
 舎人水門から古千谷橋に至る全長1.7kmの水と緑の公園。かつての農業用水路の跡を利用してつくられた。「水生植物園ゾーン」「こもれびゾーン」「せせらぎゾーン」「まどろみゾーン」の4つのゾーンからなる。

●千葉次郎勝胤の墓
 千葉孝胤の子、勝胤(1471〜1533)は佐倉城主となり、後北条氏と結びついて宗家の安泰を計った。千葉氏は足立方面にも勢力を振るい、伊興、淵江、千住等を領していたという。勝胤の墓がここにあるのは、一説に、戦に破れて領地の足立に逃れ、討死にしたからだという。

●法受寺
 震災後、下谷の法受寺と浅草の安養寺が合併して、昭和10年に建立された。浄土宗。墓地には、安養寺にあった五代将軍綱吉の生母桂昌院(1624〜1705)の墓がある。

●応現寺
 天台宗から時宗に改宗。豊永14年(1637)建立の足立区内最古の山門がある。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作といわれる。明治12年(1879)、境内から室町時代のものと推定される経塚が発見された。そのとき出土した星兜(星のある兜鉢)は古代〜中世の兜の変遷を示すもので、現在東京国立博物館に保存されている。

●易行院(えきこういん)
 文亀2年(1502)の創建と伝わる。浄土宗。昭和初年、浅草から移転。助六の塚の碑、助六と揚巻の墓がある。

●東陽寺
 慶長16年(1611)の創建といわれる。曹洞宗。火災により八丁堀から浅草へ、さらに昭和3年、当地に移転。三遊亭円朝の人情噺で知られる塩原太助の墓がある。歌舞伎にもなった「塩原太助一代記」は、薪炭商から大商人になった太助の立志伝。また江戸初期の商人、河村瑞軒の墓もある。瑞軒は車引きから身を起こして富豪となり、江戸米の東廻・西廻航路を開くなど海運や治水事業で成功した。

●正安寺
 浄土宗。元和2年(1616)、浅草に創建。その後釈迦涅槃像を安置したことから、涅槃院と称される。元禄11年(1698)に火災にあうが、和尚の親縁にあたる桂昌院の寄進により、涅槃像、本堂などを再建。涅槃像は、安楽往生を願う庶民たちから「ねはんさま」と長く親しまれてきたが、関東大震災で大半を焼失。寺も同地へ移転した。現在焼け残った像の一部が本堂に祀られている。

●伊興遺跡公国と展示館
 公園内には方形周溝墓や竪穴式住居、古代の人々の生活の様子などが模型で再現されている。展示館では、土器、須恵器、農具、漁具、装飾品など出土品が展示され、ジオラマで古代伊興の人々の暮らしと文化を知ることができる。
開園・開館:9:00〜19:00(10〜4月は17:00まで) 入場無料。
問合せ:03-3898-9111

●白旗塚史跡公園
 白旗塚は現在、都内城東地区に残る唯一の古墳。その保存のために周囲を公園として整備し、昭和62年に開園した。面積約3千u。園内には万葉集にちなむ植物が植えられている。

●伊興氷川神社
 伊興の鎮守。祭神として、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を合祀。別名「淵の宮」とも呼ばれ、かつては淵江領42カ村の総鎮守だった。伊興の遺跡はここを中心に広がっており、氷川神社は古墳の上に建てられたと考えられている。

●延命寺
 鎌倉時代のものと推定される聖徳太子像があり、その胎内に刻まれている銘によると、延慶2年(1309)の開山、天文20年(1551)の再建とされる。総欅造りの山門は、如意門と名付けられている。宝暦4年(1754)建造の佐渡島円通寺の山門を昭和51年、当地に復元したもの。

 

[TOPへ]   [沿道のコラムへ]   [コースガイドに戻る] 

Copyright© 1999-2017さんぽみち総合研究所 All Right Reserved
質問等は、こちらまで sampo@e-sampo.co.jp