見どころ紹介

(2)日暮らしの里散歩(谷中霊園−西日暮里駅0.9Km)

●谷中霊園
 面積的10万uの都営墓地。中村正直(都旧跡)、二葉亭四迷、上田敏、横山大観、宮城道雄、川上音二郎、高橋お伝、長谷川一夫など幕末、維新以降の著名人の墓碑が数多い。この都営霊園に、隣接する天王寺霊園と寛永寺霊園を含めて、一般に谷中墓地と通称されている。

●観音寺土塀
 観音寺は慶長16年(1611)創建、区画整理のため廷宝8年(1680)神田から現在地に移った。寺の周囲の塀は土塀に屋根の築地塀で、200年前の非常に古いもの。大震災で一度崩れたが後に復旧された。塀の上方にポツポツとある穴は上野彰義隊の戦いの跡ではなく、単に小学生が傘でつついた跡、とは住職のお話。

●朝倉彫塑館
 日本近代彫刻の母体を作ったといわれる彫刻家、朝倉文夫(1883〜1964)のアトリエと邸宅が、昭和41年一般公開されたもの。名作「墓守」(明治43年作)をはじめとする大小様々な作品が展示されている。開館は、土、日、月曜日のみ。

●徳川慶喜の墓
 徳川家最後の将軍となった慶喜(1837〜1913)は、天保8年9用29日、水戸藩主斉昭の第七子として江戸小石川に生まれた。慶応2年(1866)、幕末の動乱期に第15代将軍となり、翌年、大政を奉還。1868年鳥羽伏見の戦いに敗れ、江戸城を明け渡した。その後は駿府に隠棲し、大正2年76歳で亡くなった。墓所は、代々将軍の霊廟にはなく本人の希望で谷中墓地にある。

●浄光寺
 太田道濯建立説もあるが明らかではない。諏方神社のもと別当寺で、“雪見寺”の愛称もある。元文2年(1737)、8代将軍吉宗が遊猟のおりに立寄り、同5年には将軍御膳所とされた。境内には将軍が来訪したときに腰かけたと信えられる“将軍腰かけの石”もある。また地蔵菩薩像は、駒込瑞泰寺、千駄木専念寺、下番七軒町心行寺、上野大仏堂慈済庵、浅草寺正智院の地蔵と共に江戸六地蔵のひとつ。これらは僧侶空無が元禄4年(1691)に建立したものだが、元の場所に現存するのは専念寺だけで他は移動または焼失した。江戸六地蔵として知られるものには他に沙門地蔵坊正元が建てた六地蔵もある。

●大名時計博物館
 16世紀中頃、イエズス会フランシスコ・ザビエルはからくり仕掛けの時計を日本に持ち込んだ。しかしそのままでは不定時法になじまないので、からくり細工師達が工夫を重ねて和時計を製作した。別名大名時計十ともいわれるようにその需用者は大名や大商人に限られ、お抱え時計師が手間隙かけて全て一品生産していた。櫓時計、枕時計、尺時計(柱時計・掛け時計)、船時計そして印籠時計(懐中用)と、種類も形も千差万別である。しかしその仕組みははなはだやっかいで、ぜんまい式になる前は分銅の位置を適宜変えてやる必要があった。「明けくれにかくる世話のみにあらず、くるひたる折りからには、その隙を費やし、自明鐘(時計)のために、かへりて時をうしなふこと多からん」と見える。
 文化文政期(1804〜1829)がその製作の最盛期で、遂に大名時計はその装飾を誇る方向へと独自の発達をとげた。不定時法という時間に厳密であり得ない法則に基づいて時計を作り続けた日本は、文明開化でアメリカの廉価な「ぼんぼん時計」との競争に敗れた。
 現在大名時計博物館にはそのような貴重な和時計200点が収蔵・展示されている。昭和49年に博物館として開館。収集家上口愚朗氏の自宅を改造したもので、氏は自らここを「愚朗天宿」と呼んだという。

●諏方神社
 元享2年(1323)創建で、祭神は信濃国諏訪神社と同じ建御名万命。日暮里、谷中の総領守である。ちなみに当社は「訪」ではなく「方」の字を用いる。1500坪程(約5000u)の境内には銀杏の大木がうっそうとそびえ立つ。社頭には江戸町火消「いろは48組」のうち9番組に属する「れ組」の奉納石がある。

●谷中七福神
 江戸市民の年中行事は正月の七福神めぐりから始まる。地域別に山手、東海、向島、浅草の七福神などいくつかがあるが谷中がもっとも古い。
 @弁財天  不忍池中島     弁天堂
 A大黒天  上野公園10〜18   護国院
 B毘沙門天 谷中7〜14〜8   天王寺
 C寿老人  谷中5〜2〜22   長安寺
 D布袋尊  西日暮里3〜7〜12 修性院
 E恵比須  西日暮里3〜6〜4  青雲寺
 F福禄寿  北区田端町326   東覚寺
 なお、大黒天については巡拝する人によつて、他に経王寺(西日暮里3〜2〜6)や青雲寺のものもあげられている、

●佐竹氏下屋敷跡
 元禄16年(1704)、出羽国秋田藩主・佐竹右京大夫が、水戸藩主徳川氏の屋敷を入手し、衆楽園という庭園を造ったところ。現在ある開成学園は、もと神田にあったが、関東大震災以後に移転してきた。

●道灌山遺跡
 道灌山は、一名城山といわれ、太田道灌の砦かあった所といわれる。遺跡は道灌山切通しの右側、開成学園グランド内にあるが、竪穴式住居、縄文土器、弥生中期の土器なども発掘され、現在、荒川区立図書館と開成学園に保存されている。

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