沿道のコラム

(2)人形町浜町散歩(鎧橋−新大橋1.6Km)

 人形町・浜町は江戸期から演劇ゆかりの地。今なお下町のおもかげを残す甘酒横町は、さしづめ芝居小屋への参道ともいえる。

    1. 歌舞伎〜団十郎以前
    2. 芳町とマダム貞奴

1.吉原の誕生と明治の芳町

 江戸幕府が公認した唯一の遊廓吉原は、最初は現在の人形町駅付近に設けられた。当時この一帯は葭や葦の生い茂る湿原だったことから葦原と呼ばれ、やがて縁起のよい吉原に改称されたという。
 吉原設立の認可が下ったのは、元和3年(1617)。その後明暦3年(1657)の大火による類焼を機に浅草千束に移転した。これが新吉原であり、旧地は元吉原と呼ばれ区別されている。吉原の名は芳町に受け継がれ、この地は隣りあう堺町・茸屋町の芝居役者たちでにぎわったという。
 芳町といえば料亭。料亭は、昔から日本のビジネスマンにとって欠くことのできない親睦と駆け引きの場所だった。明治の洋風建築が、ビジネス街の面影をみせる兜町。そこから日本橋川を隔てた人形町・浜町界隈には料亭街が多くみられる。甘酒横丁の北側一帯は江戸以来芳町と呼ばれ、元吉原の色香をとどめる土地柄。
 日本の女優第1号として明治の演劇史を飾った川上貞奴は、この芳町でも指折りの芸者置屋浜田屋の芸妓であった。新橋の「ぽんた」芳町の「奴」といって、「奴」はよほどの名妓でなければ継げぬ名前であったという。

2.江戸の芝居街

 延宝元年(1673)9月、「四天王稚立」を興業中の中村座の桟敷は、熱狂する見物客で湧きに湧いていた。
ヒーロー坂田金時を演じるは14歳の少年、初代市川団十郎。顔に紅と墨との隈取りをし派手な衣装をまとった彼は、荒々しい身振りと豪快な台詞で大立廻りを演じてみせた。これがいわゆる江戸荒事の初演。その後団十郎は、「暫」「勧進帳」など自作自演の荒事芝居で空前の大入りを続けた。胸踊るスーパーヒーローの活躍を見に、江戸市民はこぞって芝店小屋にかけつけた。堺町・葺屋町(現人形町)の中村・市村両座は、木挽町(銀座)の森田座、山村座とともに江戸四座(後に山村座は取りつぶされ三座となる)と呼ばれ、天保改革での浅草移転まで約200年間繁栄を続けた。

3.明治時代の芝居と明治座

  「オッペケーペッポー、ペッポーポー」、ユニークな合の手を入れながらの講談で知られる川上音二郎が、妻の貞奴をヒロインに立て、新派劇で人気を呼んだのは明治30年代。しかし、芝居と言えば歌舞伎伐だった日本の演劇の伝統に、真の新風を送りこんだのは、それより後の新劇運動だった。
 甘酒横丁を浜町方面に進んでいくと、なまこ壁の劇場明治座が見えてくる。この劇場は明治6年(1873)浜町川(現浜町緑道)の岸辺に千歳座として開設された。経営不振や火事による焼失などの危機を乗り越えて明治26年(1893)明治座として再出発。 初代市川左団次の後を継いで座主となった2代目佐団次は、明治42年(1909)小山内薫とともに自由劇場を興し、新劇の道を切り開いた。

4.歌舞伎〜団十郎以前

 慶長8年(1603)5月のこと。出雲大社の巫女と称する女性が京都に現われ、男装姿で歌や踊りを演じ、大好評を博した。彼女の名は阿国。その舞台は、当時輸入されてまもなかった三味線を伴奉に流行歌を歌ったり、扮装もバテレンのズボンやロザリオの首飾りと風俗の最先端を行く新奇さが売りもので、「かぶきおどり」や「阿国かぶき」と呼ばれた。「かぶき」は「傾き」と書き、かたむいている状態、つまり正常な尺度からはみだした異常なものをさす言葉である。阿国の男装も当時「かぶき者」と称された遊侠の徒党にあやかったものといわれる。かぶきおどりは全国的な流行をみせたが、風紀上の弊害をおそれた幕府は寛永6牟(1629)」一切の女芸人に公衆の前で舞台に立つことを禁じる。この禁圧によって脚光を浴びたのが「若衆歌舞伎」、前髭をつけた美少年による舞や狂言
の舞台であった。
 しかし幕府は承応元年(1652)若衆歌舞伎に対しても禁令を発する。再開が認可されたのは翌年のこと。ただし若衆の象徴である前髪を剃り落とすこと、歌舞をひかえて「物真似狂言づくし」とすることの2つの条件がつけ加えられていた。これ以後の歌舞伎が「野郎歌舞伎」と称されるのは、こうした経緯のためである。
さて、幕府が課した二条件は、結果的にはドラマ内容の充実や演技の熟達を促し、歌舞位を演劇として飛躍的に発展させた。かくして元禄時代、江戸に市川団十郎、京には坂田藤十郎が現われ、歌舞伎は最初の黄金期を迎えるのである。
参考:平凡社刊「歌舞伎事典」他

5.芳町とマダム貞奴

 東都百美人に名を連ねる川上貞奴は、洋装の似合うとびきりの美人だった。彼女が家運傾く生家を救うため芳町へ奉公にでたのわずか7歳の時。浜田屋の女将亀吉に見込まれた彼女は、14歳で初座敷を踏み、16の歳には2代目奴の名を継いで一本立ちした。やがて彼女は時の総理大臣伊藤博文を後楯とし、飛ぶ鳥を落とす勢いで芳町を闊歩した。馬を乗り回したり、花札や玉突きに熱中したり、白昼堂々と隅田川で水泳を楽しんだり、芸妓時代の彼女を巡るエピソードはつきない。
 そんな彼女が芝居に関わるようになったのは、壮士芝居の旗手川上音二郎と恋に落ちてからのことである。初めて舞台に立ったのは、音二郎の芝居一座が欧米巡業をした明治32年(1899)頃。女形というものに不慣れな西洋人のため、音二郎がいやがる貞をむりやりヒロインにしたてたのだが、その結果大好評を博し、マダム貞奴の名は一躍有名になっていく。
参考:「自伝音次郎貞奴」他

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