沿道のコラム

(4)静嘉堂わき水散歩(砧公園−二子玉川園駅3.2Km)

  多摩川の左岸、武蔵野段丘南縁の斜面には湧水が多い。豊かな水源が育てた緑を、静嘉堂緑地などに見ることができる。

1.国分寺崖線の湧水
 
 国分寺から世田谷区内の成城学園、二子玉川、等々力方向に続く武蔵野段丘南緑のラインを、国分寺崖線という。その崖線下を流れているのが野川で、世田谷区玉川で多摩川に合流する。崖線の斜面、すなわちハケの各所からは湧水が流山し、野川に流れ込んでいる。流域面積約70平方キロメートルに及ぶ野川の水を支えているのは、これらの湧水である。
 現在野川のすぐ北を、仙川から分かれて崖線にぴったり沿う形で流れる丸子川は、江戸時代初頭に作られた用水路の一部。もとの名を六郷用水といい、全長約23kmあった。徳川家康の命を受けた旧今川家臣、小泉次太夫吉次が慶長2年(1597)から15年の歳月をかけて完成させたもので、俗に次太夫堀ともいう。この用水によって、
保水性の悪いローム層に覆われた崖線周辺の村々は、ハケの豊かな水源を農業に活用することができたのである。
 明治40牛(1907)に渋谷〜玉川間に玉川電車が開通すると、それから昭和初期にかけて、岡本から上野毛に至る崖線周辺に、政治家や事業家等の邸宅や別荘が多く建てられた。旧三菱財団の岩崎家別邸であった静嘉堂文庫その一つである。周辺の岡本静嘉堂緑地では、湧水に育てられた武蔵野の緑を満喫することができる。

2.玉川八景 
 
 国分寺崖線の緑や大河の流れなど景観に恵まれた多摩川流域は、江戸時代中期以降市民の遊興の地となった。特に十二代徳川家慶の御膳所でもあった瀬田の行善寺からの眺望は「玉川八景」と讃えられた。八景とはそもそも中国洞庭湖南岸の瀟湘八景にならったもので、江戸時代中〜後期にかけて各地で盛んに八景の選定が行われた。
 玉川八景に選ばれたのは、岡本の紅葉・二子の帰帆・瀬田の黄稲・大蔵の夜雨・登戸の晩鐘・川辺の夕煙・富士の晴雪・吉沢の落雁。他に吉沢の夕映えや行善寺の雪景等を選ぶ場合もあった。そこには異なる季節を盛り込むことで観光の通年化を、夕方や夜を題材にすることで宿泊を促すといった観光客誘致の狙いも込められていたようだ。八景図や風景画は恰好の土産物で、瀬田の落雁や喜多見の晴嵐等を選んだ「武陽玉川八景之図」や安藤広重や二代歌川豊国による多摩川の浮世絵等が残されている。
 江戸時代後期には多くの文化人が多摩川を訪れ、紀行文を記した。嘉永3年の(1850)江口忠房による『瀬田之記』には風景画とともに八景にちなんだ和歌が詠まれている。杉田玄白の孫で蘭医の成卿(せいけい)はオランダ語の『玉川紀行』を著した。
 多摩川沿岸の風景を楽しむ心は今も受け継がれ、せたがや百景の中にも「多摩川の緑と水」「新二子橋からの眺め」「岡本もみじが丘」等が選ばれている。

  

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