見どころ紹介

(1)雑司ヶ谷寺町散歩(池袋駅−護国寺2.8Km)

●丸池跡 
 かつて池袋に多く点在した池のひとつで、池袋の地名の起源ともなったという。池周辺から眺める月は「池ヶ谷の月」と呼ばれ、月見の名所として知られていた。

●豊島区立郷土資料館
 勤労福祉会館7階。訪れた人々が豊島区の歴史・風俗の変遷を一望できるよう細やかに配慮された資料館である。中でも魅力的なのが、模型で再現された「池袋ヤミ市」と「長崎アトリエ村」。旧長崎町にあったアトリエ村は、美術家専用のモダンな借家住宅であった。入場無料。

●自由学園
 大正10年(1921)、「新時代ノ女性トシテ必要ナル教育」を目的として、「婦人之友」主宰者、羽仁もと子・吉一夫妻により創設。校舎(明日館)の設計は、旧帝国ホテルで名高いフランク・ロイド・ライト。宇治平等院の阿弥陀堂を参考にしたといわれる。1997年(平成9)5月、国の重要文化財に指定。保存修理後、音楽会などのイベント開催、各部屋の貸し出し、館内の一般見学を行っている。
時間:10:00〜16:00(15:30までの入館)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)年末年始
見学料:喫茶付見学 個人\600 団体\500、見学のみ 個人\400 団体\300
問い合わせ先:03(3971)7535

●赤い鳥社・鈴木三重吉旧宅跡
 童話・童謡雑誌「赤い鳥」(1918〜36)を主宰した鈴木三重吉は、大正11年(1922)から2年間ここに住み、自宅を雑誌発行元・赤い鳥社として使用した。

●本立寺
 もとは法明寺の隠居寺であったが、後に、榊原家奥方代々の菩提寺となった。日蓮宗。境内に榊原高尾のものとされる墓がある。吉原きっての名妓であった高尾は、寛保元年(1741)榊原家八代政峯(播州姫路城主)により破格の金銀で身受けされた。これが公儀のとがめを受け、政峯は隠居の後、寛保3年に死亡。榊原家は越後高田藩へ国替えされた。高尾は尼となり、天明9年(1789)この寺で没した。

●本教寺(服部嵐雪の墓)
 明治40年(1907)雑司ヶ谷本染寺と浅草南松寺が合寺、本数寺となる。芭蕉の門人服部嵐雪の墓(都文化財)がある。「布団着て寝たる姿や東山」など有名な句が多数ある。

●法明寺(あさがお塚)
 創建は弘仁元年(810)前後と古く、天台宗稲荷山威光寺と称したが、その後日蓮宗に改宗し威光山法明寺となった。境内のあさがお塚は、江戸の彫金師戸張喜惣次(俳号富久)の句碑で有名。「あさがおやくりから竜のやさすがた」。

●大鳥神社
 江戸時代より疱瘡の神として信仰される。明治元年(1968)、神仏分離令により鬼子母神境内から離され、現在地に移った。

●区雑司が谷旧宣教師館
 明治40年(1907)、米国人宣教師マッケレブ夫妻によって建設されたコロニアル風の洋風建築。昭和16年、日米間係の悪化から夫妻は本国へ帰国、洋館も売却された。57年に取り壊し計画が表面化したが、市民を中心とする熱心な保存運動に豊島区が応え、同年12月に区の所有となり一般公開されている。

●清立院
 500年ほど前に真言宗から日蓮宗に転じた尼寺で、本立寺の末寺。境内に瘡守稲荷大明神という社があるが、ここは皮膚病の御利益で長く信仰を集めたという。

●本浄寺
 この界隈の多くの寺と同様、日蓮宗に所属。『江戸名所図会』によると、もとは谷中にあったが、宝永3年(1706)この地に移されたという。

●雑司ヶ谷霊園
 明治5年(1872)に神葬墓地として開設、同7年、共葬基地となる。約10万6千uの敷地には夏目漱石、永井荷風、泉鏡花、小泉八雲といった著名人達の墓がある。八雲終焉の地は、新宿区西大久保。『怪談』の出版は没年(明治37年)のことで、有名な雪女の物語は調布の農民から取材したという。他にジョン万次郎や鬼薊清吉の墓がある。清吉は御金蔵破りの大盗賊で、その悪運にあやかろうと昔は博徒、今では受験生がしばしば祈願に訪れる。

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