見どころ紹介

(4)外苑散歩(四ツ谷駅−赤坂一ツ木1.8Km)

●聖イグナチオ教会
 昭和24年上智大学キャンパス内に竣工。イエズス会の創立者イグナチオ・ロヨラと設計者イグナチオ・グロッペルに因んで命名された。戦後の物資統制下にあって資材の供給を海外のカトリック復興委員会に仰ぎ世界の浄財により建設された。

●喰違見附跡
 喰違見附は江戸域外郭の出入口の一つ。防衛上外堀の渡り道がジグザグになっていたのでこの名がある。明治5年(1872)木戸が取払われ土塁を残すのみとなった。

●紀尾井坂
 清水谷公園から西へ上る坂。かつて紀伊、尾張、井伊の屋敷があって、紀尾井町、紀尾井坂の名の由来となった。

●清水谷坂(シタン坂)
 麹町4丁目と紀尾井町の間を下る坂。坂下のあたり一帯を清水谷と呼ぶところからこの名が付けられている。清水谷をつめてシダニ坂、シタン坂とも呼ばれる。

●紀伊国坂
 迎賓館の正門前から南に下る坂。迎賓館の地にはかつて紀伊家の本邸があったのでこの名がついたが、赤坂とも呼ばれ、地名の赤坂の由来となったという説がある。小泉八雲の「怪談」で主人公がムジナに化かされる坂としても知られる。

●弁慶橋
 赤坂見附の傍、外堀の跡にかかつている橋。明治22年(1889)東神田にあつた弁慶橋の廃材を用いて作られたためこの名がある。付近の桜や四季折々の風景と調和した和風の美しい橋だったという。現在の橋は昭和60年12月に開通の3代目。

●赤坂見附跡
 赤坂見附は江戸城の赤坂方向への出入口だった。門は明治5年(1872)に撤廃され現在石垣の一部が残る。東京で唯一見附の名が駅名になったところである。

●赤坂不動
 元和8年(1622)開山された真言宗の寺でまたの名を威徳寺という。往時は、眼下に溜池、その向うに星ヶ岡の緑をひかえ、遠く愛宕の高塔をのぞむ風光明眉な地だった。

●丹後坂
 赤坂4丁目10と15番地の間を北へと上る急傾斜の短い石段坂。「新撰東京名所図会」には「丹後坂 赤坂丹後町、牛啼坂の南東、黒鍬谷へ下る坂路を丹後坂といふ。此坂急峻にして石雁木あり、坂上邸宅多く‥」と描かれている。現在坂上には山脇学園がある。

●牛鳴坂
 丹後坂の項で「新撰東京名所図会」に記された「牛啼坂」が現在の牛鳴坂である。または皀角坂とも呼ばれる。比較的長く急なこの坂に面して江戸時代には定火消があり、坂を上り切ったところには、火の見やぐらがそびえていた。

●浄土寺
 浄土寺は、創建が文亀年間〈1501〜4)といわれる。はじめ江戸城内平川口にあったが、幾度かの移転を経て寛文5年(1665)現在の地に落ち着いた。近松門左衛門の頌徳碑や石の閻魔像などがあり、毎月1日と6日には縁日が立つ。

[TOPへ]  [沿道のコラムへ]  [コースガイドに戻る] 

 


Copyright© 1999-2024さんぽみち総合研究所 All Right Reserved
質問等は、こちらまで sampo@e-sampo.co.jp