●篠原演芸場 北区中十条 2-17-6
篠原演芸場は、昔ながらの旅の一座が芝居を打つ大衆演芸小屋である。このような演芸場は最盛期には都内に50軒以上もあったというが、テレビの普及によりすたれ、現在ではここと浅草の木馬館のみとなった。篠原演芸場は昭和27年に埼玉県から当地に移転し、空き地にテント張りの小屋から始めたという。その40年以上の歴史の中で、三波春男、レオナルド熊、梅沢富美男、ちびっこ玉三郎なと、さまざまなスターを輩出している。場内は畳席で、貸し座布団で気楽にくつろいで見物できる。
開演時間は平日6時から、土・日曜、祝日は11時30分からと18時からの2回
聞合せ:03-3908-1874 電話予約も受け付(席に制限あり)
●音無親水公園
石神井川の水路を整備し、昭和63年に開園した。川の上・中・下流をかたどった園内では、かつてこの近辺にあった権現の滝、舟串橋が姿を変えて復元されている。音無橋も公園新設と同時に改修された。自然石の石積護岸は増水時の防災機能を兼ねたもの。平成元年には「日本の都市公園100選」に選ばれている。
●王子神社
元享年間(1321〜24)、この地の領主豊島氏が紀州の熊野若一王子を勧請したのが起こりとされる。以来、村名も王子村と改められた。祭神は伊邪那美尊(いざなみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)。境内にある関神社は、病で抜けた髪を姉の髪で隠したという蝉丸法師の伝説により、毛髪の神として理容業者が寄進したもの。8月の祭札の他、12月に熊手市が開かれる。
●北とぴあ科学館
平成2年に開館。全天周映画アストロビジョンを備えたプラネタリウム館では、25000個の星を投影する他、過去や未来の星空も再現。内容は季節毎に変わる。展示館では、物理学の世界をテーマに身の回りの様々な現象を遊びながら学ぶことができ、一日5回、実験ショー「サイエンスタイム」が催される。
開館時間9:00〜17:00 月曜・祝日の翌6休館 有料
問合せ:03-5390-1224〜5
●装束榎跡
かつてこのあたりに巨大な榎があり、大晦日の夜、関東周辺の狐がその下に集まって、衣冠束帯の装束に改めてから王子稲荷神社に参詣したと伝えられている。村人はその夜の狐火の多少によって、翌年の豊作・不作を占ったという。安藤広重の「江戸名所百景」の中にも唯一伝説を題材としたものとして「王子装束ゑの木大晦日の狐火」がある。現在、装束榎跡には碑と装束稲荷社が建つ。
●金輪寺
真言宗霊雲寺派。本尊は釈迦如来像と金輪仏頂尊像。明治36年(1903)、旧金輪寺の寺名を継いだ。北区役所付近にあった旧金輪寺は、慶長14年(1609)、徳川秀忠の命により、王子権現、王子稲荷社の別当となった。寛永11年(1634)以来将軍の「御膳所」となり、安永5年(1776)、十代将軍家治の日光社参の際、小休所にあてられたという。
●王子稲荷神社
祭神は宇気母智之神(うけもちのかみ)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)。創建年代は不明だが、現在の社殿は文政5年(1822)の建立。関東稲荷総社の格式をもち、江戸時代から「王子のお稲荷さん」と親しまれ、落語「王子の狐」の舞台にもなった。毎年2月の午の日に開かれる凧市では、色とりどりの凧が境内を彩り、大勢の人で賑わう。国の重要美術品「額面著色鬼女図」(柴田是真作)を蔵している。
●名主の滝公園
名主の滝は嘉永年間(1848〜54)、王子村の名主、畑野孫八が自宅につくったもので、後に庶民に開放し、ここで栽培した茶も出していた。明治になって垣内徳三郎の所有になり、栃木県塩原に模した大庭園に改造された。昭和13年、上野精養軒に所有が移ったが、戦災により焼失。昭和35年に再公開され、同50年北区の公園となった。斜面を利用し自然の風景を取り入れた回遊式庭園には、8mの落差を有する男滝をはじめ、4つの滝が配されている。
●パノラマプール十条台 中十条1-5-6
一般公開されている区立十条小学校内の温水プールで、平成3年に開設された。ドーム型の天井と建物の東側は総ガラス張りで、天井の一部がスライドして開き、外気を取り入れられるようになっている。
利用時間:9:00〜21:00(学校使用時間を除く)
休場日 :第3月曜(祝日の場合は翌日)年末年始(保守点検日など)
入場料 :400円(2時間)(超過は30分毎100円) 中学生以下100円(2時間)(超過は30分毎20円)
※3歳未満の幼児の利用はできない。
問合せ:03-5993-8337
●静勝寺
曹洞宗。本尊は釈迦如来像。永正元年(1504)雲綱和尚が興した禅寺、道灌寺に、道灌の子孫の資宗が城跡地を寄進、自徳山静勝寺と改めた。本堂には江戸初期のものと思われる道灌の位牌がある。享保20年(1735)の道灌二百五十回忌に太田資晴が造営した道灌堂には、道灌の木像が納められている。
●亀ケ池弁財天
現在は小さな池の中島に弁天が祀られているが、かつてこの一帯に大きな池があり、無数の亀がいたので亀ケ池といわれたという。この付近が開けて人家が多くなった頃、池の主であった大蛇が静かな三宝寺池(練馬区)に移ったという伝説も残っている。
●熊野神社
祭神は伊邪那美尊、伊邪那岐尊、事解之男神(ことさかのおのみこと)。正和元年(1312)、紀州熊野三社権現をこの村の鎮守とするために勧請されたと伝わる。2月7日に行われる白酒祭は、全国でも数少ない祭である。一間四方の紙に丸で囲んだ「鬼」の文字を書き、神前に供えた弓矢で氏子が射るのだが、二本のうち一本を故意に外す習わしになっている。かつては二本射て一本を参詣者に渡したという。その後、荒川(現隅田川)の水で仕込んだ白酒がふるまわれるので、白酒祭の名がある。
●王子田楽
王子神社で8月の祭礼に奉納される王子田楽は、豊島氏支配下の鎌倉時代後期、王子神社の別当寺金輪寺により初演されたと伝えられている。一般に田楽は寺社の行事になってからは地味な装いとなっているのだが、王子田楽は五色細工の花笠を被る優美ないで立ちで知られていた。また田楽を舞い終わった舞童が投げる花笠を群衆が奪い合うため、江戸時代からは「けんか祭り」として有名になった。見物客の多さに明治時代には臨時列車が駆り出され、明治43年(1910)には二万人の観衆で境内が埋め尽くされたという。昭和に入ってもその人気は衰えることなく、「肉弾うつ花笠の争奪戦、もんでもんでもり上がる人、人、人、まこと名にそむかぬ喧嘩祭り、壮絶、江戸の面影をどる‥‥‥」(報知グラフ/昭和11年)と全国に紹介されている。あまりの熱狂ぶりに田楽が最後まで演じられないことも、しばしばであったという。この王子田楽は、昭和19年、戦争の激化とともに途絶えたが、昭和58年に地元の芸能愛好者らを中心とした「王子田楽衆」により、中世の雅びな王子田楽が復活した。
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