17.飛鳥山コース 田端駅−岩淵水門8.9Km
大正期の文士芸術家村、田端の街並をめぐり、江戸時代以降、近郊の行楽地となった王子周辺を訪ねる。このあたりで音無川、滝野川と名前を変えた石神井川沿いは、桜の飛鳥山とともに有数の名所であった。古社寺の点在する岩槻街道を進み、広大な荒川に到る。
(1)田端文士芸術家村散歩(田端駅−飛鳥山公園3.4Km)
昭和初期にターミナル駅として発展した田端駅から、田端の街並をめぐる。芥川龍之介がこの地に移ってきたのは大正3年(1914)。以後昭和初期まで、新興住宅地の田端には、室生犀星、萩原朔太郎、菊池寛、堀辰雄、小林秀雄等々、多くの文士・芸術家が移り住んだ。かつての岩槻街道、本郷通りを進み、旧古河庭園へ。コンドルの設計になる本館と洋風庭園が完成したのは大正6年のことである。通り沿いの西ヶ原一里塚は、慶長9年(1604)幕府によって設置されたもので、23区内で唯一原形のまま保存されている。旧渋沢邸を過ぎ、飛鳥山公園へと至る。
<見どころ紹介> <沿道のコラム>
(2)日光御成道散歩(飛鳥山公園−岩淵水門5.5Km)
岩槻街道は別名日光御成道。王子、赤羽、岩淵、川口、岩槻を経て幸手で日光街道と合流する。飛鳥山公園から街道を北に進み、音無川沿いの高台に位置する王子神社へ。創建は元亨2年(1322)と古く、王子の地名の起こりとなった。その先、名主の滝公園は、王子村の名主の邸内にあった滝にちなんだ命名である。赤羽駅に近い静勝寺は、太田道潅が築いた稲付城の跡。稲付城は、道潅が江戸城と岩槻城、川越城との連絡のために築いた城といわれる。赤羽駅を抜け、広大な荒川に出る。かつてはこの膨大な水量のすべてが下流の隅田川へと注ぎ、江東地区にたびたび水害をもたらした。隅田川を荒川の分流とした荒川放水路の建設は大正13年(1924)の完成。岩淵水門はこの時建造されたものである。
<見どころ紹介> <沿道のコラム>
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