●玉川上水
承応2年(1653)膨張を続ける江戸市民の飲料水を確保すべく、幕府は羽村から四谷大木戸にいたる全長43kmの上水道を開削した。また、上水からの分水は武蔵野の新田開発に重要な役割を果たした。
●独歩碑
国木田独歩が「武蔵野」を発表したのは明治31年(1898)。独歩にとって玉川上水は恋人佐々城信子と散策した思い出の地でもあった。碑には『独歩吟』の一節「山林に自由存す」が刻まれている。
●禅林寺(太宰治、森鴎外の墓)
連雀新田開発の当初は松の坊なる真宗の寺があったが元禄12年(1692)の台風で倒壊、村人には再建する資力もなく廃寺となった。村人は黄檗宗の僧賢洲元養に頼み込み、幕府に寺社建立を願い出た。創建は翌年。なお、明治の文豪森鴎外の墓は向島の弘福寺にあったか、震災後の昭和2年この地に移された。命日の7月9日には「鴎外忌」が催される。
●八幡大神社
禅林寺に隣接して建つ下連雀の氏神。大禁は9月15日に近い土・日曜日に行われる。御輿が豪壮なことで有名である。
●井口院
創建は万冶元年(1658)。真言宗。初めは威光院と称していたが、上連雀村の名主井口家にちなんで井口院と改めたという。境内の雨乞い弥勒石像は、文化11年(1828)に学存という憎が雨乞い祈祷のため経文を埋めて建てたものとされる。
●杵築神社
創建は万治2年(1659)。松江藩松平直政は家光に寵愛され、この地にお鷹場を拝領し、下屋敷を建てた。その際に地元の杵築(出雲)大社を勧請したのである。後には境村の氏神となった。境内には千本イチョウと呼ばれる大木や、明治14年(1881)に付近の富士講信者たちが作った富士山がある。
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