●青原寺
永正10年(1513)太田道灌の師憎、舜徳禅師が開創。曹洞宗。享保7年(1722)播磨龍野城主脇坂淡路守安清の菩提寺となる。安清は赤穂事件による赤穂城明け渡しの際、城受けとり役を務めた脇坂安照の子。明治42年(1909)青山より移転。
●松源寺
天正年間(1573〜91)創建。臨済宗。慶長18年(1613)江戸城拡張にともない麹町から牛込に移転。当地への移転は明治39年(1906)。通称「さる寺」ともいい、門前に猿の石像がある。五代将軍綱吉の書など貴重な文化財を受け継ぐ寺である。
●保善寺
文禄2年(朋3)勅特賜(ちょくとくし)円明宝鑑(えんみょうほうがん)禅師により創建。禅師は武田信玄の従弟といわれる。曹洞宗。明治39年(1906)牛込より移転。かつてこの寺を訪れた三代将軍家光が獅子に似た猛犬を贈ったといわれ、通称「獅子寺」とも呼ばれている。
●萬昌院功運寺
萬昌院と功運寺の2寺がひとつになって成立。曹洞宗。萬昌院は今川義元第三子長得を開基として、天正2年(1574)半蔵門外に創建。市ヶ谷、牛込を経て大正3年(1914)現在地へ移転。功運寺は慶長3年(1598)永井信濃守尚政により桜田門外に創建。芝三田を経て、大正11年(1922)当地へ。吉良家の墓の他、殿中の刃傷事件で傷を負った吉良上野介を治療した幕医栗崎道有の墓、幡随院長兵衛の敵役として講談でも有名な水軍十郎左衛門の墓、林芙美子の墓などがある。
●願正寺
天正18年(1590)外神田に創建。浄土宗。万延元年(1860)日米修好通商条約批准のため特使として渡米した外国奉行新見豊前守正興の墓がある。かつて駐日大使のモーリスやマッカーサーが正興の墓に詣でたこともあり、記念碑が建つ。
●三井文庫 中野区上高田 5-16-1
昭和40年、旧三井文庫所蔵の資料・文化財の公開および江戸以降の日本の社会経済史に関する資料の収集保管を目的として開設。また別館では所蔵美術品などの企画展が行われ、一般に公開されている。
本館問合せ:03-3387-9431 FAX 03-3387-9432
開館時間:午前10時〜午後4時30分
休館日:土曜・日曜・祝日・年末年始(12月28日〜1月5日),毎月末日(土・日曜に当たる時はその翌日),文庫創立記念日(5月14日),その他あらかじめ公示する臨時休館日(庫内燻蒸等).
利用資格:原則として20歳以上の研究者。初めての利用者は,所属機関長・指導教官など適当な紹介者が必要。詳細は問い合せ。
別館問合せ:03-3387-2211 FAX 03-3387-5456
開館日:春季 4月上旬〜5月下旬 秋季 9月中旬〜11月下旬 新春1月中旬〜2月中旬(他期間の展示はなし)
開館時間:午前10時〜午後4時30分
入館料:大人500円 大学・高校生300円 中・小学生200円 (団体は10名以上100円引)
休館日:展示会開催中は月曜日・展示替日
●哲学堂公園
土地の人々は、妙正寺川の流れに臨むこの丘陵地をながらく和田山と呼び親しんできた。その地名は、かつて源頼朝の重臣だった和田義盛がここに陣屋を設けたことに由来するという。
哲学堂公園は、そんな要害な地形を巧みに利用して創られた、公園である。
創設者は、現在の東洋大学の創立者として知られる哲学者の井上円了。博士は、明治36年(1903)、東洋大学の前身となった哲学館の建設を目的として当地を購入。翌37年、哲学館が正式に大学として認可されたことを記念し、この地に古今東西の四哲人(孔子、釈迦、ソクラテス、カント)を祀る四聖堂を建立した。これが哲学堂成立
の起源になった、と円了は後に記している。
その後、校地が小石川に決定されると、円了はここにみずからの隠退所兼社会教育のための道場を創ることを決意。公園の建設と維持運営のため、大正8年(1919)、中国講演旅行中の客死に至るまで、総計5千5百回を越える講演活動を行い、資金獲得に努めたという。
こうして哲学堂は円了の情熱と思想を色濃く反映した、きわめて独創的な精神修養的公園として完成することになった。それを端的に示しているのが、たとえば主観亭へと至る概念橋や、唯物園へと登る経験坂など、園内の名所や建築物に与えられた数々の哲学的名称とその配置である。こうした公園の構成が、すなわち人間の哲学的な思考過程そのものを象徴的に表現するよう創られている。
また、東洋の六賢人(聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、竜樹、迦毘羅)を祀る六賢台は、四聖堂とともに哲学堂の象徴的建築物のひとつ。他にも哲理門や絶対城(図書館)、宇宙館(講堂)等、円了の思想を具体化した貴重な建築物が園内に保存されている。
なお、哲学堂公園は、昭和19年、東京都に寄贈された後、同50年より中野区が管理運営。現在、外苑には、野球場やテニスコートなど各種の施設も整備されている。
●江古田公園と江古田原沼袋古戦場の碑
妙正寺川を挟んだ二つの敷地には、桜をはじめ銀杏や樺など豊かな自然が生い茂る。この付近一帯は太田道灌と豊島一族による激戦地だったといわれる。
●野方配水塔
昭和5年、野方給水場の配水塔として建造された鉄箭コンクリート造りの建造物で、遠方からも望める円形ドームの屋根が偉容を誇る。設計は淀橋上水場の設計でも知られる中島鋭治博士。昭和41年まで使用され、現在は災害用給水塔として再利用されている。
●明治寺
明治45年(1912)、明治天皇の病気平癒を祈願し創建。開基は草野栄照尼。真言宗。境内には西国霊場33ケ所、坂東33ケ所、秩父34ケ所の計100ケ所の霊場・札所の本像を模した観音石像等、計176体に及ぶ観音菩薩像(百観音)が置かれている。
●林芙美子記念館
林芙美子は 『放浪記』や『浮雲』等で知られる小説家。昭和16年から昭和26年6月に他界するまでここに住んだ。屋敷の新築にあたり、芙美子は二百冊近い参考書を読み、設計に1年近くを費やしたという。
開館時間:10時〜16時30分 月曜休館
問合せ:03-5996-9207
●三宝寺池
江戸期の文献に「池と称すれど湖水たるべし。いかなる日干にも涸れることなく下流の村々この水にて大いに益する」と紹介されるなど、かつては豊富な湧水を誇った三宝寺池も、戦後、道路の舗装や浅井戸からの地下水の汲み上げ増大等が原因で湧水量が激減。このため、東京都では深井戸から地下水を揚水放流し、池の満水を図っている。
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