沿道のコラム

(2)国府・国分寺散歩(府中駅−国分寺駅6.1Km)

 東国の要衝、武蔵国の首府、府中。鎮護国家を祈願する武蔵国分寺は、広大な寺域を有し、諸国有数の偉容を誇った。

1.国府と国分寺

 現在の東京、埼玉、神奈川の一部を含む広大な「武蔵国」に、朝廷から国司が派遣されてきたのは大化の改新(645)以後のことで、府中という地名の起こりも、この地に国府が置かれたことに由来する。当時、屯倉(みやけ=朝廷直轄領)として開発が進んでいたこの地域一帯は、朝廷が東方に国勢を伸ばすためにも有利な土地だったのである。
 国庁(国府庁舎)の位置は、現在の大国魂(おおくにたま)神社の付近と推定される。また武蔵国分寺は天平13年(741)に発せられた聖武天皇の詔勅により、諸国に建立された国分寺のひとつ。造営にあたっては、武蔵国の財力、労働力を総結集して、なお20年近い歳月を要したとされ、全国に類を見ない巨大寺院として完成した。諸国の国分寺の寺域(僧寺)が一般に「二町四方」だったのに対し、武蔵国分寺は、三町四方にも及んだという。基礎工事には多摩川の砂利を用い、礎石や柱に用いる巨木は奥多摩方面から川流しで運んだ。敷地内には僧寺と尼寺が併置されたが、なかでも象徴的な建築物は七重塔であった。歴史学者の考察によれば高さ60mにも及び、同時代の朝鮮、中国にも見られない高度な技術が発揮されたという。都を遥か離れた武蔵国にこれほどの大寺が建立された背景には、東国を睨んだ朝廷の国政伸張策があったと考えられている。
 元弘3年(1333)、500年以上にわたって武蔵国に偉容を誇ったこの巨大寺院は、分倍河原を敗走した新田義貞の軍勢によって火を放たれ、武蔵野の土となった。

2.大国魂神社のくらやみ祭り

 毎年4月の末頃は、府中市中どこもかしこもが異様な熱気に包まれる。「この祭りが終わってようやく年が明ける」というビッグイベント、「くらやみ祭り」の季節がやってきたのだ。
 大国魂神社が主催するこの5月の例大祭は、もともと景行天皇41年(111)の5月5日、この地に現れたという大国魂大神を祀る儀式。大化の改新以降は武蔵国司が祭礼を司り、「国府祭り」とも呼ばれていた。かつては御輿渡御が深夜の真っ暗闇中で行われたので「くらやみ祭り」とも俗称され、この夜に限っては、若い男女の交遊が自由であったという(昭和35年以降は保安上の理由により夕刻からの開始)。
 さて、祭りの進行は4月の30日早朝、品川沖で神職らが潔斎(お清め)に用いる塩水を汲む海上禊祓式(みそぎばらいしき)に始まる。続いて5月2日は御輿につける御鏡を塩と水で丹念に磨きあげる御鏡磨(みかがみすり)祭。翌3日になると、地元の山車が囃子に合わせて街をねり歩き、日暮れとともに、待ちかねた踊り手たちがケヤキ並木で自慢の舞を披露する。さらに4日の御綱掛(みつなかけ)祭(御輿に綱をかける儀式)を終えると、いよいよ5日は御輿渡御。合計8基の御輿を一基あたり300人もの氏子が取り囲み、「オイサ、オイサ」のかけ声も荒々しく、数百m程離れた御輿までねり歩く。担ぎ手も見物人ももみくちゃになりながら、祭りのクライマックスに酔いしれるのである。最終日の6日には還御の儀と鎮座祭が執り行われ、かくして天下無双の祭りは幕を閉じる。

 

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