見どころ紹介

(2)国府・国分寺散歩(府中駅−国分寺駅6.1Km)

●大国魂神社 
 大国魂神社の歴史は古く、創立は景行天皇41年(111)5月5日に遡るとされ、大化改新(645)までは代々武蔵国造が神主となった。しかし改新後、武蔵国府が成立すると国司が禁祀を執り行い、「武蔵総社六所明神社」として武蔵国内6カ所の神社(多摩市小野神社、秋川市小河神社、大宮市氷川神社、秩父市秩父神社、埼玉県児玉郡金鑚(かなさな)神社、横浜市杉山神社)を合祀するに至った。
 現在の社殿(都有形文化財指定)は、寛文7年(1667)四代将軍家綱の命により改築されたものである。また当神社に安置される木製の狛犬(一対)は重要文化財に指定されている。

●馬場大門ケヤキ並木
 かつて奥州征伐へ赴く途中の源頼義・義家父子は大国魂神社に戦勝祈願をし、見事な殊勲をあげて凱施することができた。これに感謝した父子がケヤキ千株を奉植したのが、現在のケヤキ並木の始まりという。また徳川家康が関ケ原の合戦に臨む際、大国魂神社神主はその本陣に赴き戦勝の祈願を捧げた。家康はこの恩に報いるべく、二条の馬場とケヤキの苗を神社に寄贈したと伝えられる。

●国分寺市文化財資料展示室
 市内、特に湧水の豊富な国分寺崖線の界隈には、先土器・縄文時代から奈良・平安時代に及ぶ多くの遺跡が集中している。同展示室は昭和55年、市立第四中学校体育館内に開設され、同中学建設に伴う発掘により出土した遺物を中心に、約300の文化財を広く一般に公開している。

●土師堅穴住居跡
 奈良・平安時代の竪穴式住居のひとつで、同様のものが付近に多く発掘されている。昭和31年の調査では、須恵器・土師器(はじき)等の土器類、鎌・鍬等の鉄器といった遺物が多く出土した。現在は埋められているが、標識により位置を知ることができる。

●国分寺
 分倍河原(ぶばいがわら)の戦火で焼失した武蔵国分寺は、後に徳川家康の社寺保護政策により徐々に復興した。国分寺本堂の建立は享保18年(1733)頃。薬師堂の再建は宝暦年間(1751〜63)。仁王門は新田義貞の寄進で建立した旧薬師堂の廃材を用いて享保年間(1716〜36)に建造されたという。なお、国分寺本堂は昭和62年改築された。

●国分寺市文化財保存館
 国分寺境内にあり、市内各所の遺跡から発掘された縄文土器や石器を中心に、武蔵国分寺から出土した文字瓦や各種の古瓦、徳川家光の朱印状などが展示されている。また同じ境内に万葉植物園もある。

●真姿(ますがた)の池
 嘉祥元年(848)、絶世の美女、玉造の小町はハンセン病を病み、諸国を巡礼しながら快癒を祈願していた。武蔵国分寺で21日の願をかけたところ、21日目に童子が現れ、「境内の池で身を清めよ」との霊示を授けた。指示に従うと、病はたちまち快癒し、
以後その池は真姿の池と呼ばれたという。また、この池の湧水は『名水百選』(環境省)にも選ばれた(お鷹の道/真姿の池湧水群)ほどの水質の良さで知られている。

●都立殿ヶ谷戸(とのがやつ)庭園 (東京都指定名勝)
 大正2年〜4年に江口定篠(後の満鉄副総裁)の別荘として整備され、昭和4年に旧岩崎家別邸となった。昭和49年に都が買収(同54年より公開)。段丘の崖に出来た谷を巧みに利用した「廻遊式林泉庭園(かいゆうしきりんせんていえん)」。
 崖の上の明るい芝生地と崖下の湧水池、この樹林で雰囲気が一変する造園手法がみどころのひとつ。静かな鑑賞を配慮して、在園者は60名までと制限されている。
交通:JR国分寺駅南口徒歩2分 ※駐車場なし
開園時間:午前9時〜午後5時(入園は午後4時30分まで)
休園日:年末・年始(12月29日〜翌年1月3日まで) 
入園料:一般及び中学生150円 65歳以上70円 (小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)
20名以上の団体は入園料の8割の額
問合せ:042-324-7991 殿ヶ谷戸庭園管理事務所

●お鷹の道
 寛延元年(1748)から幕末まで国分寺市内の村々は、尾張徳川家の御鷹場(鷹狩りを行う区域)に指定されていた。現在、国分寺脇から水の流れに沿って進む遊歩道は「お鷹の道」と呼ばれ、崖下から涌き出る清流が美しい。

 

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