1.青山霊園の歴史
青山百人町続きの足シ山と呼ばれる高台(現立山墓地)が国民一般のための葬地として定められたのは明治5年(1872)のこと。そのすぐ後に青山郡上(ぐじょう)藩邸跡地が青山墓地となった。江戸時代、国民は幕府公認のいずれかの寺院の檀家になる義務があり、家の葬儀は檀那寺に委ねなければならなかった。
明治政府はこの寺請制度を解体し、明治元年、「神仏分離令」と「神葬祭許可の達」を発令。青山墓地は神葬墓地として開設されたのである。明治6年に御府内(江戸時代の都心部)の寺院境内への埋葬を禁ずる布達が出されると、先祖代々からの東京市民は不満の声を上げた。これに対する政府の緩和策の一環として、青山墓地は共葬墓地に変えられていく。
明治44年(1911)、青山墓地に移転問題が持ち上がった。めまぐるしい発展をとげる市街地に墓地があるのは好ましくないというのが理由だったが、墓地移転は一大事業。そこで、従来のイメージを変える新しい形の墓地、散歩気分で墓参りのできる「公園墓地」の構想が打ち出された。青山墓地は、公園化整備が進められ、昭和10年に青山霊園となった。
2.茂吉秀歌
現在の外苑東通りと青山墓地の間には「鉄砲山」と呼ばれる陸軍の射撃場があった。射撃練習時には赤い旗があげられ、そうでない時は子供たちの遊び場になった。斎藤茂吉の歌に「赤き旗けふのばらずどんたくの鉄砲山に子供らが見ゆ」とある。
茂吉が青山に移り件んだのは明治40年(1907)9月頃で青山墓地やその周辺の風物を多く歌っている。茂吉の義父紀一が院長をしていた病院(当時、青山脳病院と呼ばれた)が、全焼したのは大正13年(1924)。3年余りの留学から帰国したばかりの茂吉は、紀一にかわって金策に奔走しなければならなかった。利子のしくみもよく知らない彼にとってこれは相当な苦労だったようだ。当時茂吉はこう歌った。「うつそみの吾を救いてあはれあはれ 十万円を貸すひとなきか」
3.オリンピックと東京
昭和15年の第12回オリンピック大会は、ローマ、ヘルシンキといった強敵を押さえて東京が招致に成功、アジア初の大会として大々的に開催される予定であった。しかし日中戦争にはじまる戦局拡大により、帝国陸軍は不参加の意向を示す。政府も足なみを揃えて中止を決定した。それから30年余を経た昭和39年の第18回大会において東京は再び招致に成功、時あたかも高度経済成長へ真っしぐらという頃だった。
この大会を機に東京では大がかりな都市改造がなされた。メインが、いわゆるオリンピック関連道路の開通に見られる交通網の整備・拡大。中でも高速一号線(羽田〜本町)、同四号線(本町〜新宿付近)、放射四号線(青山通り〜玉川通り)、環状七号線(大森一板橋大和町)の完成は特筆に値する。これらのうち、主会場である外苑への人員輸送を担ったのが高速四号線。外苑北部にぴったり沿う形で走っている。渋谷区の町も大きく改造され、例えば表参道と交差する青山通りは当時の通称電車道を押し広げて作られたもの。
以前の青山近辺は古いたたずまいを残す商店街、住宅街だったが、拡張により、はみだした店舗は新設された小さなビルに入る。いわゆる“げたばきアパート”が並ぶのが、オリンピック当時の青山の姿である。このようなアパートやマンションの普及による人口増加、米軍相手の風俗を残す昭和40年代の原宿の発展が、現在の繁栄につながっている。とは言え、この辺りの高度成長期をはさんだ新旧の建物が混在し、オリンピックに彩られた熱気と混乱の戦後史をナマで伝えてくれるものもの少なくなっている。
4.喜劇王、ここに眠る
喜劇王といわれたエノケン(榎本健一)は、明治37年(1904)、青山5丁目の鞄屋に生まれた。エノケンの喜劇は、舞台でも映画でも歌と踊りとアクションでみせるものだった。実際60キロ以上のスピードで走っている車の右のドアから出て後ろを回り、左のドアから入ってくるというキートンぱりの離れ業を(それも酔っ払っている時に)ちょいちょいやってみせたという。エノケンは後年、右足を失ったが、それでも死ぬまでドタバタ喜劇への執念は失わなかった。工ノケンは、昭和45年に65歳で死亡、生れ育った町に近い長谷寺で静かに眠っている。
5.謎に包まれた沖田総司
「総司さま、昨日、江の島の海岸を歩いて来ました。もしもこの世の果てがあるのなら、そこまで行けば、あなた様にお逢いできるのじゃないかしら、と想いながら。…」
これは、沖田総司の墓がある専称寺に届けられた総司へのファンレターである。25歳の若さで不治の病に斃れた新撰組の天才剣士は、映画や小説でもよく知られ、その人気の高さは一時期、ただ事ではなかった。総司は天保15年(1844)頃麻布笄(こうがい)町の生まれ。子供の頃から剣術が得意で、近藤勇や土方歳三らと出会ったのも天然理心流の道場だったという。その生涯については、容貌も含め謎の点が多い。
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