見どころ紹介

(3)ハケの道・玉川上水散歩(国分寺駅−小金井公園5.8Km)

●玉川上水遊歩道 
 昭和40年の淀橋浄水場廃止以来、久しく流れが途絶えていた玉川上水。東京都の「清流復活事業」により、昭和61年8月、せせらぎは21年ぶりによみがえった。両岸に続く遊歩道は、舗装されていない土の小径。クヌギやナラの雑木林や野の草花が生い茂り、四季折々の変化が楽しめる。近隣には学校も多く、生徒達にとって、ここは格好の通学路ともなっている。

●本町(国分寺村石器時代)遺跡
 明治26年(1893)、府中新道路の敷設工事の際に発見された考古学史上著名な遺跡である。最近の調査によって、縄文時代中期の集落跡と判明した。また同道跡のある国分寺崖線沿いには他にも荒牧遺跡、貫井遺跡、平代坂遺跡、前原遺跡など数多くの遺跡があり、太古の集落が崖下の湧水を求めて形成されたことを示している。

●貫井共同墓地(閻魔堂木造閻魔王座像)
 共同墓地内の閻魔堂には、像高75cmの閻魔王を含む十王像(一体欠ける)や、阿弥陀如来、地蔵菩薩等が安置されており、天保6年(1835)頃の作と推定される。

●滄浪(そうろう)泉園
 実業家、波多野承五郎氏別邸の庭園として大正4年(1915)頃から8年にかけて造園されたか、昭和52年に都が保全を決定。以後は小金井市の管理下にある。園名は園内の湧水を評した犬養毅の命名といわれ、入り口の門標も彼の筆による。

●幡随院
 江戸の侠客・幡随院長兵衛の逸話で知られる同寺は昭和14年、浅草より移転した。

●金井原古戦場跡
 南北朝の対立する正平7年(1352)、新田義宗・義興軍と足利尊氏勢は、金井原や人見原で激しい合戦を繰り広げた。これが世に言う武蔵野合戦で、尊氏は金井原を敗走したが、最後は新田勢を滅ぼした。

●黄金井(こがねい)の水
 武蔵野の原野は飲料水に乏しく、質のよい湧水は、昔から非常に貴重なものであつた。そのためこの泉も万金に値する井戸という意味で「こがねい」と呼ばれ始め、小金井の地名の由来となったという。

●六地蔵
 六角形をした石燈籠の各面に一体ずつの地蔵尊が彫られており、宝永4年(1707)の造立とされる。地蔵信仰は一般に地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に地蔵仏が現れ、苦しむ人間を救済すると教え、江戸時代に広く信仰されたという。

●三光院
 臨済宗の尼寺で、昭和9年建立。元の敷地は幕末期の政治家山岡鉄舟の所有といわれ、境内に鉄丹の碑が建てられている。

●築樋(つきどい)
 本町住宅の東端にいまも残る築樋は、元禄9年(1696)の開設とされ、飲料水を求めて玉川上水から分水したものである。

●海岸寺
 もとは武蔵国秩父郡(現埼玉県)の三峰山に開かれたが、ここを菩提寺とする鈴木新田(現御幸町)の農民達にとって不便であったため、天文元年(1736)、当地へ移転したという。本堂と山門は共に天明年間(1781〜89)の建立ともいう。

●花見茶屋柏屋跡
 江戸の頃より小金井堤一番の評判をとり、明治16年(1883)、明治天皇も観桜の際にこの店を利用したという。現存はしない。

●小金井公園
 紀元2600年記念事業(昭和15年)で計画された小金井大緑地を前身として、戦後、東宮仮御所に使用され、また農地解放により4割を失ったが、29年に都市公園として開園。桜の名所として知られる。
約77haの敷地(日比谷公園の約4.7倍)には、テニスコート、弓道場等のスポーツ施設の他、
雑木林、桜の園、子どもの広場、SL(C57)展示がある。

●江戸東京たてもの園
 文化的価値の高い建造物を移築復元した江戸東京博物館の分館。茅葺きの民家や下町の雰囲気を感じさせる商店など、最終的には35棟が並ぶ予定。なお旧武蔵野郷土館の資料も引き継ぎながら展示している。小金井公園内。
4月〜9月:午前9時30分〜午後5時30分、10月〜3月:午前9時30分〜午後4時30分
休園日 毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)、年末年始(12月28日〜1月4日)
一般400円  65歳以上200円 大学生(専修・各種含む)320円 高校生・中学生(都外)200円
042-388-3300

●真蔵院(川崎平右衛門供養塔)
 延享2年(1745)、西多摩郡御岳山から移転。真言宗豊山派。境内に新田開発の世話役、川崎平右衛門の供養塔がある。

 

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