見どころ紹介

(5)本所蔵前散歩(新大橋−浅草橋駅3.7Km)

●江島杉山神社
 この神社に顕彰されている杉山和一(1610〜1694)は江戸中期の鍼医。従来の鍼術に工夫を施し管の中に入れて使用する管鍼の術を創案、将軍網吉の病気を治して盲人の最高位たる関東総検校に任ぜられた。

●塩原太助住居跡
 芝居や講談でおなじみの塩原多助の物語。そのモデルがこの地に店を構えた薪商塩原屋太助(1743〜1816)である。近くにはその名にちなんだ塩原橋もある。

●両国回向院
 明暦の大火による焼死者供養に築かれた万人塚にはじまる。境内には山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉などの墓がある。天明期より勧進相撲が開かれた。

●吉良邸跡・赤穂義士元禄義挙の跡
 現在の本所松坂町公園はかつての吉良上野介上屋敷跡。赤穂義士の討入りは元禄15年(1702)12月15日に決行された。

●芥川龍之介住居跡
 芥川龍之介(1892〜1927)は幼年期より約20年間をこの地で過した。後年、「大川の水」、「本所両国」、「大導寺信輔の半生」など本所を描いた作品も多い。

●百本杭跡
 隅田川がカーブする時の川水の当たりを押さえるため、多数の杭が打ちこまれ、鯉の釣り場として知られていた。

●国技館
 「大鉄傘」と呼ばれた鉄骨の旧両国国技館は、戦後進駐軍に接収され、常設館は、蔵前ヘ移転、60年、新国技館が落成し、大相撲は再び両国に戻ったのである。

●江戸東京博物館
 高床式のユニークなデザインの江戸東京博物館は平成5年のオープン。江戸から明治、そして戦前戦後に至るまでの江戸・東京のまちや人々の生活を楽しみながら学ぶことができる。実物大の日本橋(長さ2分の1)や隅田川花火の両国橋の様子など精巧にできた模型の数々は圧巻。オールドファンには懐かしいスバル360の展示も。150名あまりのボランティアが施設案内や常設展示室内のツアーガイドを実施している。
開館時間:9:30〜17:30(木・金曜日は20:00まで)
入館料:常設展大人600円。
問合せ:03-3626-9974

●舟橋聖一生誕の地
 小説家舟橋聖一(1904〜1976)は、かつての本所御蔵の堀にかかっていた御蔵橋のそばで生まれ、7歳までを過ごした。

●旧安田庭園
 隅田川から引いた水の干満を利用する「潮入り回遊式」庭園。元禄年間(1688〜1704)に築造、明治期に安田善次郎の所有となり、その後大正11年(1922)東京市に寄付された。

●本所御蔵跡
 別名お竹蔵は幕府の御米蔵などが置かれていたところ。現在の両国駅から慰霊堂のあたりにまで及ぶ。維新後、陸軍被服本廠となった。「光線画」を創案した明治の版画家、小林清親はこの御蔵屋敷に生まれた。

●東京都慰霊堂・復興記念館・鐘楼堂
 陸軍被服本廠跡では、大正12年(1923)の大震災で4万人もの犠牲者が出た。昭和5年震災記念堂建設、26年都内の戦災犠牲者が合祀され、東京都慰霊堂と改称。境内に建つ復興記念館には震災当時の被災品、絵画、写真などが展示されている。また鐘楼堂の梵鐘は震災被災2年後、中華民国の仏教徒から贈られたもの。

●徳山稲荷
 明暦の本所開拓奉行、徳山五兵衛の屋敷に祀ってあったもの。境内には大泥棒日本左衛門首洗い井戸跡之碑もある。

●浅草御蔵跡碑
 幕府の米蔵ができたのは元和6年(1620)。敷地は南北に約600m、櫛の歯形の堀割があり、隅田川を利用して関東一円の米を集めた。倉庫には50万石(約62万5干俵)が収納できた。

●首尾の松碑
 浅草御蔵の堀端にあった名物の松。吉原の遊客がここで首尾を語り合ったとか、隅田川を馬で渡ったとか、由来は様々。

●浅草文庫碑
 旧幕府米蔵あとの文庫は、明治15年(1882)、上野公園内に移され、現在の上野図書館となった。

●浅草天文台跡
 北斎の富嶽百景「鳥越の不二」に描かれた浅草天文台は、天明2年(1782)の創設。明治2年まで存続した。

●鳥越神社
 孝徳天皇白椎3年(651)の創建。一年の無病息災と五穀豊穣を願う1月8日のどんど焼き、巨大な干貫神輿がかつぎ出される6月例祭の夜祭りは、200年余の歴史を持つ下町ならではの活気に満ちている。

●甚内橋碑
 付近を流れていた鳥越川にかかっていた橋で、下総国の悪党、向坂甚内を祀った甚内神社にちなんで名づけられたという。

●浅草見附跡碑
 神田川にかかる浅草橋は、浅草御門と呼ばれ、奥州方面や浅草観音、新吉原などヘ行く道筋にあった。寛永13年(1636)の設置といわれる。

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