見どころ紹介

(2)三宅坂・千鳥ヶ淵散歩(桜田門−靖国神社2.3Km)

●桜の井・柳の井
 もと加藤清正邸の跡(現在の国会前庭)に設けられた井伊家上屋敷の正門左脇にあったのが桜の井。「江戸砂子」に「わたり九尺ばかり。石垣にて組あげたる大井戸也。数なき名水、釣瓶車三つ並てあり」とある(九尺は約2メートル70センチ)。今でも井桁だけは残されている。また、桜田堀端(井伊家邸下)には柳の井が石を組んだ昔ながらの姿で残されている。俗に若葉の井とも呼ばれたこの井戸は、江戸の名水の中でもとくに清冷で甘露な井戸であったといわれる。

●海嶽楼跡
 海嶽楼は幕末の儒学者安井息軒の塾。息軒は政治にも関心が深く、嘉永6年(1853)米艦来航の際、時事を論じた「海防私議」を著わし、徳川斎昭に認められた。文久3年(1863)には昌平黌の教官に登用されている。息軒は慶応元年(1865)ここに居を定める。西に富嶽を望み、南に金杉あたりの海を眺めることができたので海嶽楼と命名したという。明治元年(1868)、焼失。

●和学講談所
 寛政5年(1793)、総検校塙保己一が設立した和学教授所。文久2年(1862)にこの地に移った。塙保己−は武蔵国児玉郡(埼玉県)の生れ。5歳頃、すでに両眼を失明していた。13歳で江戸に出、文学や漢学、神道、医学などを学んだ.代表的な著作「群書類従」はここで編纂された。

●東郷元帥邸跡・東郷坂
 東郷平八郎は明治・大正を代表する海軍元帥。昭和9年88歳で病没.功績と人徳を後世に残すため、元帥郎を記念館にしたが昭和20年焼失。跡地は公園で、西側を南へ下る坂を「東郷坂」と呼んでいる。区議会の議決をもって名づけられた唯一の坂である。

●千鳥ヶ淵戦没者墓苑
 昭和34年の建設。太平洋戦争で戦没した無名戦士の遺骨約9万1千体が納められている。7月13、14日の夜には堀で灯籠流しが催される。

●鍋割坂
 むかしこの坂の上で鍋を割った者がいたことから鍋割坂の名が生まれたともいう。しかし峠や山などにも同様の名が用いられている点から考えて、鍋のようにこんもりと盛り上がった小山を切り開く様子を示した呼び名と思われる。江戸時代には、この名の坂が数多く存在したが、現在都内に地名をとどめているのは、この坂を含め3カ所である。

●東京国立近代美術館工芸館
 明治43年(1910)竣工。陸軍技師田村鎮の設計による、レンガ造り二階建てのゴシック風建築。もともと近衛師団司令部庁舎であつたが、昭和52年(1977)より近代美術館付属の工芸館として使用されている。

●北の丸公園
 この地域は江戸城の北側にあたり、古くから北の丸と呼ばれていた。北口には田安門、東口に清水門がある。かつては西側一帯が田安家、東側一帯が清水家の敷地であつた。明治7年(1874)より、近衛連隊の兵営が置かれ、近衛師団司令部、歩兵第一旅団司令部などがあつたが、第二次大戦後廃止。昭和39年、東京オリンピック開催にあたり武道館を建設。これを機会に造園化がすすみ、昭和44年天皇の還暦を記念して周辺が整備された。園内には科学技術館、国立近代美術館があり、駐車場も完備している。

●靖国神社
 明治2年(1869)維新で倒れた志士の霊を祀るにあたり東京招魂社として建てられたが、明治12年明治天皇の意向により大村益次郎が靖国神社と改めた。境内中央に立つ益次郎の銅像は、明治21年日本で最初に建てられたもの。上野の西郷隆盛、皇居前の楠公の銅像とともに東京三銅像のひとつと称されている。

 

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